ファベルジェのアクアマリンティアラ
概要
ロマノフ家のインペリアルエッグを多数製作したことで知られるジュエラー、ファベルジェ製のティアラ。
キューピッドの矢の上に大きな雫形のアクアマリンをのせたモチーフを、ダイヤと特殊なプラチナ合金(とみられる)で作られたワスレナグサとリボンで繋いである。
名称
アレクサンドラ大公妃のファベルジェティアラ
GRAND DUCHESS ALEXANDRA’S FABERGE TIARA
起源
かつてドイツに存在した公国の大公が、1904年 花嫁に贈ったもの。
宝飾メーカー
ファベルジェ Faberge
歴史
①アレクサンドラ・フォン・ハノーファー
かつてドイツに存在したハノーファー王国の国王の孫にあたります。
これまたかつてドイツに存在したメクレンブルク=シュヴェリーン公国の大公(*公国のトップ)に嫁ぎ、ウェディングギフトとしてファベルジェ製ティアラを贈られました。
《長い余談》
ファベルジェの所在地はロシアのサンクトペテルブルク。
現在のドイツにあたるメクレンブルク=シュヴェリーン公国からは1,600kmも離れた所にありました。
実は新郎の母がファベルジェのお得意様であるロマノフ家出身。
彼女(花嫁から見れば姑)の意向で、遠く離れたファベルジェにティアラを発注する事が決まったようです。
◇
打ち合わせは当然リモート。
19世紀初めの話ですから、手紙で行われました。
ところがここでやり取りが上手く行かず、何とティアラは結婚式に間に合わなかったのです。
残された当時の書簡を参考に、経緯を見てみましょう。
●5月10日(結婚式28日前)
ファベルジェ、ティアラの見積もりを送る。ここで
・1万ルーブルのダイヤモンドティアラ
・7,500ルーブルのアクアマリンとダイヤモンドティアラ
の2つを提案。
●日付不明
ファベルジェ、新郎に選んでもらうためデザインの図案を送付。
●5月下旬(結婚式2週間前)
ファベルジェ、図面の返却を催促するも、新郎側で失くしてしまった模様。
納期には間に合わないと通告される。
最終的に、結婚式では新婦アレクサンドラの一族が所有していた冠が使われることになりました。
これは"シャーロット王妃の婚礼の冠(Queen Charlotte’s nuptial crown )"と呼ばれる、かつてのイギリス王妃が結婚式で使用した由緒あるものでした。最初からこれにすれば良かったのに
◇
結婚式には間に合いませんでしたが、その後ティアラは無事アレクサンドラの元に到着。
式の翌月に開催された宮廷の舞踏会でお披露目されたそうです。
(余談ここまで)
②戦争に巻き込まれる
アレクサンドラが嫁いだメクレンブルク=シュヴェリーン公国ですが、1918年のドイツ革命と共に君主制を廃止。
夫の退位ならびに一家での亡命を余儀なくされましたが、その後どうにか再び帰国を許されました。
なお、それまで住んでいたシュヴェリーン城とその内部にあった物は没収されましたが、ティアラについては引き続きアレクサンドラが所有することが許されたようです。
その証拠に、18年後の1936年 デンマーク国王クリスチャン 10 世の即位25周年記念の写真にティアラを着けたアレクサンドラの姿が写っています。
◇
しかし試練はこれだけでは終わりませんでした。
第二次世界大戦でドイツ軍が劣勢となり、ソ連の赤軍が首都ベルリンまで迫ってきます。
これを受けて、1945年3月末 アレクサンドラはデンマーク国境近くのグリュックスブルク城に移りました。
娘の夫の一族が所有している城に逃げ込んだ形でした。
しかしここにイギリス軍の手が伸びてきます。
グリュックスブルク城はナチスの幹部らにも開放されており、イギリス軍は彼らを捕まえにやってきたのでした。
◇
1945年5月23日早朝、アレクサンドラ達は銃を構えた兵士達に起こされ、中庭へと追い立てられます。
ナチスの残党を追ってきたはずのイギリス兵ですが、どさくさに紛れてアレクサンドラ達の宝石や地下室にあったワインも略奪していきました。
◇
また、かつて住んでいたルートヴィヒスルスト城は、敗戦後ソ連支配下となった地域にありました。
この城も、同年7月1日ソ連軍への明け渡しを余儀なくされることになります。
アレクサンドラの夫はロシアのロマノフ家と親戚関係にあったのですが、ここでもそう言った主張は無意味で
「殺されたくなければ、出ていけ」
とけんもほろろだったそうです。
◇
このように度々略奪の対象となる機会があったティアラですが、どういうわけかこれを免れます。どうやって隠し持っていたのでしょうか…
③アナスタシア(シュレースヴィヒ=ホルスタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公妃)
アレクサンドラは1963年に亡くなり、その後は末娘のアナスタシアがティアラを引き継いだようです。
↓親子写真。右がアレクサンドラ、中央は次女のテューラ、1番左がアナスタシア。
(長女は生後6週間で夭折)
↓アナスタシアのティアラ着用写真。
いつどこで撮られたものなのか 全く分からないのが残念です…
④オークションへ
そしてアナスタシアの死から40年後の2019年、ジュネーブで開催されクリスティーズのオークションにティアラが出品されます。
当初落札価格は23万〜34万スイスフラン(2024年7月のレートでおよそ4〜6千万円)と見積もられていましたが、それを大幅に上回る103万5千スイスフラン(同およそ1億8千万円)で落札されたそうです。
⑤ヒューストン自然博物館
オークションに出されていたティアラを購入したのは、アメリカ在住のファベルジェコレクターであるドロシー・マクファーリンさんとアーティー・マクファーリンさん夫妻。
現在は、夫妻の協力のもとヒューストン自然博物館に展示されています。
おわりに
それにしても、ティアラをオークションに出したのはいったい誰なのでしょう?
一説には、③アナスタシアの娘である エリザベートではないかと言われています。
ティアラがオークションに出された2019年は、彼女が家族の遺産管理を任された年であるというのが理由です。
おおそれは説得力がある根拠だと思いエリザベートさんについて調べてみると、2019年以前に生まれた女のお子さんやお孫さんがいらっしゃるよう。
にも関わらず売却したということは、もはやティアラを受け継ぐ意思はなかったのでしょうかね。
◇
とは言え、ファベルジェはロシア帝室ゆかりの歴史あるジュエラー。
その中でもティアラは非常に珍しいのだそうです。
戦時中もアクアマリンティアラを大切に持ち続けていたアレクサンドラは残念でしょうが、子孫の間で持て余されるよりは 博物館で世界中のジュエリー愛好家の目に触れた方が幸せな人生(?)なのかもしれませんね。
この夏から始めたパートやら元々携わっている地域のお手伝いやら何やらで、目まぐるしく過ごしています。
おかげでnote時間が取れず、皆さまの記事もなかなか拝見できていません。
お付き合いさせて頂いている方々の記事を読めていない中の記事公開は大変心苦しいのですが、夏に書き上げていた記事、下書きの中で腐らせる前に出してしまいます(苦笑)。
note3周年を迎えたので、自分の中で改めてnoteとの向き合い方を考えられると良いなと思います。
参考
見出し画像: photo AC
・CHRISTIE’S
《 5 minutes with... A Fabergé aquamarine and diamond tiara 》
・THE COURT JEWELLER
《 GRAND DUCHESS ALEXANDRA’S FABERGE TIARA 》
《 MUSEUM WEEK: GRAND DUCHESS ALEXANDRA’S FABERGE TIARA 》
・THE GIRL IN TIARA
《 ALEXANDRA OF MECKLENBURG-SCHWERIN’S TIARA 》