息子の世界と娘の世界
ここ数日、リフレッシュ休暇というものをとったので無駄に夜更かししないと損をするような気がしてる。
毎日のルーティン通り21時には寝てしまうが(寝落ち)、今日は0時半に目を覚まし、カップラーメンを食した。デブの極み。勿論、お酒もお供に。
そうそう、表題のテーマ。
なぜこれをテーマにしたかと言うと、自我が溢れ出るほど強い長男3歳。そしてまた自我が芽生え出した1歳長女。
よく小競り合いをする。
妹が遊んでいたものを力尽くで奪う兄貴。そして、抵抗する妹。そんな彼らを見ていると、つい妹の見方をしてしまいがち。いや、大半そうしてしまっている。
しかし、こんな夜にふと考えてしまう。
母親という立場で私は間に入ってしまっているのか、はたまた私自身の正義感でそういう対応になってしまってるのか。
よくよく考えてみると、私の性格上、後者なのかもしれない。
でも、それってどうなんだろう。妹にとってありがた迷惑では?また兄貴とっては?
彼らの世界には彼らにしか分からないことがある。見える目線だって、感じることだって、そう。
そのオモチャを遊びたいから奪いたいって思ってるのは私だけであって、本当は妹と一緒に遊びたい、または、そのオモチャの遊び方を教えてあげたいと思ってるのかも。
奪われたよりも、言い返せない自分に苛立ってるのでは?もしくは、そのオモチャの遊び方が分からなくて苛立ってたかもしれない。単に奪われて泣いていなかったのかも。
正直、それって私には分からない。でも私が間に入ることってどうなんだろう。彼らには彼らにしか分からない世界があって、見える世界がある。私が口を挟むことなんだろうか。(勿論、手や足が出た時は対処するのがいいかもしれない)
大人になると、色んな問題を目の当たりにする。その度に最善策を考え、解決しよう、乗り越えようとする。それって、結局は自分自身に起きることであって他人のことではない。だから、沢山考え、苦しみ解決の糸口を必死に考えるのかもしれない。
考えた分だけ、なるようになる。行動した分だけ、自分の思うようになる。
そういう経験をしてきたからこそ、今立ち止まってみて考える。私が考える子育てを客観的にそして冷静に。
ありがた迷惑にならないよう、彼らが主体性を持って問題を解決する方法を教えていくことを見出そう。
自分で向き合い、自分で考える。
そうなるには、今のようなお節介ババアは違うのかもしれないな。
旦那がいつも傍観者だけど😂私もたまにはそうなってみるのもいいかもしれない。客観的に冷静に、だけど放任はしない。
そんな私も今子育てに向き合ってるんだなと。我ながら無駄に歳を重ねてないな。笑
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