寄り添うことも大切だけど、自ら引っぱることも大切

 震災未体験世代である私たちがよりリアルな震災の姿を知るため、神戸・三宮センター街一丁目商店街振興組合の副理事長、植村一仁さんに当時の話を伺った。

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Q:植村さん、震災当時の様子を聞かせてください。
 ずっと洋服店をやっているんやけど、うちは今年で125周年。当時大学2年生で、語学テストの前日やってんけど地震で起こされて、リビングに行ったらブラウン管のテレビが飛んでいた。当時は親父が社長やったので、とにかく状況がわからんから、三宮に行って帰ってきたときは悲壮な顔だったのを覚えてるかな。大学は校舎も潰れて電車も通ってないから結局学校にいったのは5月くらいだった。

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Q:震災があったことで、神戸を離れる人も多かったんでしょうか。
 離れていった人もいるし、逆に他府県から来た人もいた。「一緒に復興しようと思って、会社を移転させました」というと、みんな偽善っぽく思うかもしれないけど、僕は被災地にお金を投資してくれるなんて凄いことやと思った。東北の震災前、センター街の大型ビジョンにつけるシェードを気仙沼にある会社に依頼をしてた。それが完成して、あとは神戸に運ぶだけって時に震災が起きて全部津波で流された。津波到達からしばらくして社長も無事だとわかって、こっちの理事会でもどうするか話したんだけど「この状況でキャンセルしますってのは無いね。時間がかかっても待とう」という話にすぐなった。事業主はどう復活していくかというと、事業をやって復活していくしかない。そんな想いが震災を経験した僕らにはあったんだよね。

Q:神戸の震災から26年。次世代に記憶を残していくにはどうしたらいいですか。
 記憶はその人にしかないわけで、戦争や原爆の記憶を伝えていくっていうのはすごく難しいよね。あくまで伝えていくのは記録。ただ、その人の体験や起こった出来事を聞いて「どう活かすか」という視点があるとええんちゃうかな。「大変でしたねえ。かわいそう」で終わるのはあまり意味がない。「次はこうしよう」と次につながる動きが起こることが一番かな。

 「悲しみに暮れる人に寄り添うことも大切。だけど、街を復興させるには、やる気のある人が率先して立ち上がることも大切」。そんなお話を聞いて、神戸の人の力強さを感じた。神戸の復興を支えたのは、被災した当事者の方々の負けん気であると実感した。

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(取材先:神戸・三宮センター街一丁目商店街振興組合 副理事長 植村一仁氏)
(取材者:岡田敏和、鎌田春風、出口真愛)

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