お湯を入れすぎたココア
したいことよりすべきことに取られる時間が増えるほど、あらゆる出来事に新鮮味がなくなる。
「特別」悲しいことも「特別」嬉しいこともない。
既視感のある寂しさと型の決まった楽しさが日常にほんの少し色をつけるだけだ。感情の振れ幅が狭くなる、とでも言おうか。
そうやって喜びにも悲しみにも感情が振れにくくなったとき、ひとは幸福を掴もうとするより不幸に飛び込もうとするのかもしれない。
マイナスの感情はプラスの感情よりも予測しやすく、かつ実感しやすいから。
「あ、このまま進むと傷つく。」
そんな予感は結構そこかしこに転がっている。
幸も不幸もないくらいならいっそボロボロに傷つけばいい。
お手軽に感情を動かすには傷付くのがいちばん簡単だ。
そう思っているのに、わたしは傷つく選択をできないでいる。
これを自己愛だと肯定していいのだろうか?
強い女への道は、まだまだ険しい。
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