ニュースを見ないで過ごした2020年~世界と僕の隔絶と確かな繋がり~

連日、スマホの画面に新型コロナ感染者の人数が表示される。今日も全国最多人数を更新した。夕食時、家族の会話の第一声は、決まって「今日何人出たらしいよ」だ。職場での同僚の会話を聞いても、「医療やばい」「日本やばい」と不安がっている人が多い。今、日本は、いや世界は大変な危機に陥っており、激動の時代を迎えているらしい。

一方僕にとっても、2020年は激動の1年だった。

僕は昨年2019年に結婚した。そして、その年に子供を授かった。2020年は1年を通じて、子供のいる「家庭」というものと向き合った初めての年だった。一般的に見れば、新婚&子育てという幸せいっぱいな1年といえるだろう。実際、僕は1年を通じて幸せいっぱいだった。

ただし、その幸せは僕の今までの世界観の延長線上にはなかった。
僕は、「論理性」と「成長」という価値観を大切に生きてきた。何事も前後のつながりを考え、筋道を立てて理解してきた。自分の人生についても、日々の生活についても、今自分が取り組むことについても、「今、自分がしていることに論理的に説明できる状態を保つこと」を大切にしてきた。加えて、「昨日の自分よりも、今日の自分が成長していること」を目指してきたつもりだ。
それに対し、家庭で直面した日々の問題は僕の悠長な成長を待ってくれたりはしなかった。そして問題はいつも論理を超えてやってきた。問題は僕に、成長した後ではなく、「今この瞬間の僕が」どう認識し解決しようとしているかを求めてきた。それは成長を目指して、「いつか」を夢見て今を先延ばしにして生きてきた僕にとって、困難で苦しい瞬間だった。僕には「今、この瞬間」を生き切る覚悟が決定的に足りていなかった。
例えて言うなら、主人公である僕が成長していくことを是とするドラゴンボール的世界観から、誰彼かまわず持ち込まれる今日の事件について全員で協力して向き合うことを是とするクレヨンしんちゃん的世界観に変化したのだ。

そうして、日々の雑事と問題に思い悩む日々で、気づけばニュースを見るのを忘れていた。コロナが今日どこで何人感染者が出たかも知らない。国会で何が議論されているか、首相がどのような発言したかも知らない。この情報社会でニュースを見ないことは、多分社会常識的に言えばあり得ないことだろう。テレビのニュースを見なくとも、まともな社会人であれば、何かしらの媒体を通じて、今日世界で主に何が起こったのかを把握しているのが常識と僕は考えていた。だから僕は、世界で今日何が起こったのかを知らないことについて、自分が世界と隔絶されたような漠然とした不安感を感じていた。

そこで僕は、そもそも世界と(社会と)繋がるということはどういうことかを考え直してみた。
僕は、群馬県という地方在住の公務員である。常々僕が思うのは、都内のオピニオンリーダーたちからの評価としては、地方という閉じたネットワークと人間関係においてのみ影響力を持ち粋がっている、井の中に入ってもいない蛙として、終わっている人認定されてもおかしくないということだ。そういう視点からすれば、自己啓発本において目指すべき生き方として紹介されるモデル(都市に住み、そこで自分のコミュニティを作る、ネットを通じて世界と繋がり影響力を持つ、個人として活躍する)からは逆行しており、世界と(社会と)ある意味隔絶されていると言える。

しかし、それでも世界(社会)とは確実に繋がっている。東京とは地続きでそれほど遠くなく、コロナによる医療崩壊の危機は群馬も直面しており、世界で改めて問題視されている地球温暖化の影響は年々深刻さを増している。SUBARUは北米へ今日もガソリン自動車を輸出して儲けている。僕が住んでいる群馬県太田市はSUBARUの城下町で、その恩恵により経済を保っている。知事の意思決定も政府の政策の方向性によって影響があり、それをもとに職員に指示が出される。当然公務員である僕はその指示から無関係ではいられない。また子供のことについても、児童手当は地方だからといって貰えないということはない。それは政府及び国会で決められており、そして政府及び国会は世界の国家間の力関係や世界経済の流れの中で意思決定している。僕は世界の流れの中に確実に生きている。

僕は個人として世界(社会)に対する影響力はほとんどない。でも決してゼロではないと思う。僕にとっての世界との接触面は、世界でマルチに活躍するインフルエンサーたちと、どう世界(社会)を変えていくかという大きく、建設的なビジネスの話ではない。僕の世界(社会)との接触面は、家族であり、同僚であり、地域の人々との生活である。そして彼らとの生活を営むのは、「いつか成長して立派な人間になった僕」ではなく、「不完全な今この瞬間の僕」なのだ。

今の僕にとって世界(社会)のためになることとは、今の生活の中で、自分の手の届く範囲に少しでも良い影響を与えることだ。僕は、そして僕が住んでいるこの田舎地域は、資本主義システムの中で、あらゆる面で確かに世界と繋がっている。そして僕が影響力を最も持てるのは、オンライン上ではなく、自分の周囲の手の届く範囲の人と生活だ。だから、自分が影響力を持てる範囲について、今の僕ができる最大限の貢献をしたい。逆説的なようだが、僕は、自分の周囲を大切にするという小さな範囲のことに丁寧になることからしか、世界(社会)とつながり、そして良い影響を与えることはできないと考えている。

そこまで考え至り、僕は改めて、少しずつニュースを見始めた。以前のように、ニュースを「いつか成長した僕が直面する問題」として受け取るのではなく、今度は「今世界の中で生きる僕が直面している問題」として受け止めるようになった。すると不思議なことに、ニュースを受け取る(チェックする)の数は家庭を持つ前に比べ圧倒的に少ないにも関わらず、個々のニュースが今の僕とどう関係があり、僕ができることは何かということを具体的に想像しながらニュースを見られるようになった。東京の霞ヶ関の動き、米国大統領の話がどう僕に影響するか、想像できるようになった。興味を持ち、背景となる制度や知識、社会問題について調べるようになった。そして以前よりニュースを楽しめるようになった。

手の届く範囲との関係性を考え、世界(社会)との関係性を想像することで、以前の僕がとらえていた「虚像の世界」ではない、「実態としての世界」との確かなつながりを感じた2020年。僕は確かに世界(社会)から隔絶されているが、一方確かに世界(社会)と繋がっている。そして今後も考え続けたい。僕と世界の繋がりについて。


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