僕たちはどこへ向かっているのか?
例えばこのような例を考えてみる。
コップに水を入れてその場からしばらく離れておく。
そしてまたコップを観察する。
するとその水は蒸発しているだろうか?
蒸発していればこの世界は本物である可能性が高い。
蒸発していなければこの世界は本物ではない可能性が高い。
もちろんこれは頭の中の世界であって。
実験証明してみないとわからないということなのかもしれない。
もし私たちがゲームの中にいると仮定すれば、それは実に興味深いということだ。
まるで水槽の中を金魚が泳いでいるかのように...
そうゆう意味ではまだ僕たちは自分の本当の力に気づく前にゲームの中に閉じ込められているということだ。
なぜ人生に信仰が必要なのかというと、人はなぜ生きるのか、人は何かを信じないと生きていけません。
宗教というのを科学的にするという点ではこの世界が仮想現実であることを示す証明式というのは一生かかっても見つける価値はあるのかもしれませんね。
僕が考えるゲーム理論はこの世界はディラック方程式によって作られているという説です。
真、善、美の価値が全部揃えばですな、その信仰の極地にまでくるとですな、もう生きていることが本当に嬉しくなるんですね。
そこで重要になってくるのはですね、実際生活の上から判断する以外にないということ。
例えば、アダム・スミスやカーン・マルクスの思想は日蓮大聖人の思想を一線踏み越えられた新しい生活基準なんですな。
養老先生は「自分で自分のこともわからないのに、他人のことなんてわかるわけがないでしょっていう。」
これからの時代は何が正解で何が間違っているのかを見極めるかが重要になってくるなぁと思いました。
ところで人は自然と共存出来るかといった問題に少し言及させていただきます。
言うまでもなく人は自然破壊をしながら文明を発展させてきました。
ここでわかることは私たちが生きていくためには必要最低限の生活基盤が必要だと言うことなんです。
sdgsをminecraftで考えてるとmy homeが出来上がるまでのプロセスはおそらく誰もが歩む道であろう。
僕たちが本当に目覚めた時、私たちは池田博士のとったあの勇敢なる行動に気付かされることでしょう。
外の外...