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完結
昨日、10年半続いたコウケンテツさんの料理番組”たべごころ”の最終回を迎えました。
いつも二週間に一回のスパンで収録して、まだ最後の収録から同じくらいの期間しか空いていないので…
終わりの実感はあまりなかったのですが。
最終回の放送を自分で見て、
多くの方から様々な反響を頂いたことで
ストンとひとつ段落が打たれた気がしました。
終わったなぁ
という哀愁も同時に広がりながら。
私が担当したのは最後の2年間。
初代 田畑先輩、2代目 三好先輩とコウさんが培ってきた番組のカラーとは全くと言っていいほど違う3代目ではありましたが、
受け入れてくださった視聴者の皆様、コウさん、スタッフさん、見守ってくださった先代のお二人に改めて感謝しています。
実は入社2年目に、別の情報番組にも出演していたコウさんと、生放送のクッキングコーナーで共演させていただいたことがあります。
佐藤は生放送の耐性すらなく、料理は訳分からず、
コンロに火をつけるところを本番でグリルに火をつけたり、コウさんのペースを乱しに乱して
番組の判断で担当わずか2回で変わったことがありました。
たべごころみたいな、
おしゃれな雰囲気の番組にいつかつけるといいなー
と入社前に妄想したことはあったのですが、
その失敗で、
“これは…もうないな”
と思ったことがありました。
その経験と失敗が
常に頭の中に残ってある状態での、2年間のたべごころでした。
だからこそ、
この期間が嬉しくて、楽しかった。
そんな心持ちでした。
料理もやればやるだけ自分ものめり込み、
コウさんの だけ弁 というお弁当の本を買って、お弁当を夜勤の日に作って持って行ったりしていました。
なんとなく恥ずかしくてコソコソ食べていましたが。
佐藤は慣れない料理をこれだけ頑張ったんだよ、皆様
という話ではありません。
コウさんが料理を楽しく、優しく教えてくれて。
そして、たべごころという大きなチームの中にいられたから、気がつけば夢中になっていたからやっていたことでした。
コウさんは本番以外の時間にも
道具のことや調理のあれこれを、尋ねたら惜しみなく教えてくれたのです。
そういう優しさが、テレビの前の多くの方に滲んで伝わってきた期間だったのだろうと思っています。
コロナ禍になり、キッチンに一人で立つ期間もありました。リモートは寂しかったけれど、時代に即したレシピと、佐藤に即した調理法をコウさんやスタッフさんがみんなで考えてくださいました。
本当に嫌な汗をかいた時もあったけれど、
時々登場するコウさんの娘さんの姿に癒されたりもしました。
現場でサポートしてくださる料理の先生方、メイクさん、衣装さん、技術さん、ディレクターさん、プロデューサー、全ての皆さんがいつも声をかけてくださって。
沢山の味方に囲まれていました。
そんなチームでした。
自分の足りないところはナレーションで三好先輩が補ってくれたり、
顔を合わせれば色々な声かけをしてくれる田畑先輩がいて。あげればキリはないのですが、ディレクターさんはそれぞれが長い時間を自分にかけて、説明してくださったりしました。
徒労に終わらせてしまった部分も大いにあるのは
反省ですが、、
今後の自分への栄養も沢山いただけたことに感謝しています。
長年支えてくださった西部ガスさんには
大学野球部時代の兄のように慕う先輩が勤めていて、
その繋がりで色々な方にもお声がけいただきました。
その先輩が先日くれた連絡も
本当に身に染みるものでした。
一番、たべごころ歴の短い私の言葉は
浅いのか深いのか、色々あると想像しますが、
このように書き残したくなる出会いでした。
終わりと始まりが繰り返されるのが常ではありますが、
私は少し終わりには弱いです。
今日はコウさんから頂いたマッコリカップで
マッコリでも飲もうかなと思います。
携われて良かったです。
コウさんや先輩方の世界を味わえた贅沢さは
今後も自分の中に残り続けます。
たべごころ
ありがとうございました。