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20241209 老いの失敗学 畑村洋太郎
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方針
大切なのはやはり、自分にとって快適な状況を作ることです
より快適に生きられるように些細な努力をするくらいの軽い気持ちでやるのが心の健康のためにも良さそうです
備えとしては、まわりの協力をいかに得るかが大事になる
その場しのぎの一時的な対処法です。「失われたエネルギーを回復しないことには、本当の意味での解決のために動くことができないので、
自分にとって最も得になる様に損得勘定をしながら柔軟に動くのです。これが被害最小の原理の考え方。
逆演算の思考のメリットは、事の軽重を考えながらこの想定漏れを潰すことができる点にあります
今の世の中は、「客観的でなければならない」という価値観で動いていますが、本当は「客観的なものに加えて、主観的なものも必要」なのです
老いと失敗
老いもまた、それぞれの人にとって初めて経験する未知の問題なので、最初の対処の仕方が分からず、大いに戸惑います
全体像があると、立体的なものの見方ができるので、他のものと関連を考えながら、よりよい考えや方法を導くことができます。
じつは全体像があると、個々の問題への対処がよりスムーズにできるようになります。逆にこれがないと、良かれと思っている選択で最悪な結果を招くことも起こりかねません。
そもそも私がデジタル機器の使用に前向きになることができないのは、設計思想やプログラミングの考え方が、自分の持っている理解のテンプレートに合わない、つまり理解ができないのが主たる原因なので、この点を乗り越えるのはなかなか大変です
老害
いざ事がおこったとき、目の前の現象とマニュアルに書かれていることが頭の中で結びつかず、想定していた対処が上手くできないこともあります
老害の一つに、すぐに怒るというのがあります。自分で考えていること、言いたいことが相手に正しく伝わらないことへのもどかしさを怒りで表現しているのではないでしょうか?
適当な受け答えをして周りを困らせるのは、老害の典型的なパターンの一つです。表面的な受け答えはできるので、接する方は煙に巻かれているようで不快に思われるのでしょう。しかし、そのときの状態は、もしかしたらこのときの私の様に、頭が疲れて働かなくなっているということかもしれません。
情報を受け取る
受け手の側にそのような「受け入れの素地」があるところ
人は本当に「この知識が欲しい」と思うようになると、頭が能動的に働くようになります
共通理解のテンプレートは、それぞれの意見を真剣にぶつけ合う事続けてきた中で作られてきました。
取捨選択
(生物とはエントロピーに)抗うとすれば、やはり失敗学の物差しを上手に使うのが言いと思います。自分の行動を後ろ向きにする、足かせになるものはさっさと捨てる
便利なものに頼って必要以上に依存すると、自分で考える力がどんどん奪われていくことへの警告です。
ベテランの失敗は、熟達した者が手抜きやインチキをすることで起こるものです
間違えて、新宿の銀座アスターではなく、銀座の銀座アスターに行ってしまったときに、店員が新宿の店に確認して助けられた~前述
それはさておき、先方の対応があまりにも見事だったので、なぜ分かったのか理由を聞いてみると、「たまに同じような間違いをするお客様がいらっしゃるので、もしかしたらそうなのかもしれないと思いました」ということでした。間違うにも法則があるということです。それを聞いて、この人の中には独自のマニュアルのようなものができているのだと思いました。~老いの失敗学 畑村洋太郎より抜粋~
自分も同じようなことを実践してきた。
洗剤が切れて買わなくちゃと思って、夕飯の買い出しに行くと、洗剤を買うのを忘れる。良い言い方をすれば集中力が高い、悪い言い方をすれば複数の注意の維持ができない。
これが頼まれごとでおきると大事に発展するので、二つの対応を実践。
一つ目は、直ぐにやる。二つ目は、忘れても日々のルーチンの中で思い出すきっかけを作っておく。「口頭で聞いたことをメモする」、「LINEは、読んだら返事する」、「メールは、後で対応するなら未読に戻す」など。
複数注意の維持が不得意なので、ルールが多くなりすぎると対応できなくなる。生活ルーチン上に気づきを配置する