20241215 正義はどこへ行くのか 河野真太郎
悪とは、正義に相対する概念。
正義が一つであれば、悪のバリエーションは少ない。
正義が多様な価値観によって広がりを持てば、悪のバリエーションも累進的多くなって、悪がぼやけてしまう。
分かり易い明らかな悪への対応は、距離を取ること。その方向が正義に向かっている保証はないが、悪から遠ざかることはできる、故に正義に近づいているとも言える。
悪が、身近に、遍く存在すると、悪との距離調整が上手く行かない。ある悪を避けることは、異なる悪に近づいてしまう場合もあるだろう。(これも悪、あれも悪、たぶん悪、きっと悪)
悪への接近を何回か咎められたら、諦めて、学習性無力感が生じる。そのような人が増えれば、社会に停滞感が漂うだろう。
実際は、現代小説と違って、ホメロスの物語で登場人物の内面が描かれることは少ないのだけれども→内面を描くのはかなり後になってからなんだ
アメリカは「孤立した正義」を備えた存在なのであり、国際社会という共同体の外側で自分だけの正義を持っているからこそ新たな秩序をもたらすことができる
→社長も(役員も)そうなのか?
大きな政府と官僚組織:重厚長大な第2次産業:生産
小さな政府と民営化・市場:サービス業やクリエィティブ行:スマート産業
父探しの物語:最後に和解:承継
ここでは、「多様性を否定する者」こそが「悪」である
ここにも、価値の多様性の果てに「悪」が見失われ、環境の限界そのものが戦うべき敵になるという型が見て取れる
加齢の問題は、ある種の「多様性」の問題として捉え返すことができる
ナチスの標的になった人々と言えば、ユダヤ人やロマ族だけではない。障碍者たちもまた、その「安楽死計画」の標的になった。
資源は限られていないかもしれない
「解放」された女性たちは、仕事と育児、家事をすべて問題なくこなしつつ、さらには美容も保つ、つまり「すべてを手に入れる」ことへの命令に苦しんでいる