見出し画像

20250125 発想法 川喜田二郎


発想法、アブダクション
ある一つの仮説がほんとうがどうかを実験してたしかめる点にある。
実験科学の方法の核心は、仮説検証的なので

実験科学は仮説を検証する
野外科学はむしろその仮説をどうして思いつけばよい:仮説を発想させる

野外県有のための個々の小さな技術やマナーの集合のようなものはある
ハウ・ツー・テクニックの雑然たる集合だけで

一行見出しとして圧縮して表現しておくと良い


  1. とき

  2. ところ

  3. 出所

  4. 採集記録者

第一:類型的行動
第二:状況
第三:主体
第四:対象
第五:手段方法
第六:目的
第七:結果

人間の記憶構造は、その観察内容に構造性があると、このように断片的な符号の一組を与えられるだけで、ずいぶんと復元できるものである

共同研究のためにゼロックス複写装置が活用できるようになった

HARF(Human Relations Area Files)は混沌とした未整理な野外資料を創造的に処理するためのものではない

まとめることは、単に同質的なものの要約と分析という手続きだけでは不十分な場合がある。
組合せからどういう意味が見出せるかといる意味での「まとめる」過程である。

酒を飲むことについて、それを好意的に論じた発言があったとしよう
「飲酒効果の是認的発言」などとかくよりも、「酒は飲むべし」と書いた方が良い
コンテキストを重んじるやり方

やがて紙切れ同士のあいだで、その内容の上でお互いに親近感を覚える紙切れ同士が目についてくるだろう

「なぜ自分はここに五枚の紙片をあつめたのかということを理性的なに煩悶する。
理由を暗示だと言ってもよい。五枚の内容を包みつつ、圧縮化して表現しうる一行見出しを発見すれば

いざ実行というときになると邪な道を歩むひとがなかなかに多いのである、
われわれはいつの間にか、独断的な分類の枠組みばかりに取りすがり、事実やその情報の語りかけに素直に耳を傾けようとしない悪習を身に付けている
→ヒューリスティック

口のなかで呟いてみる方法である。それがすらすらと説明でき、内容がつながって言葉になったら、それはそれなりによい理解のしかた

理論的に空欄などを設けておいても何の役にも立たない
→それよりも起きた事実を受け入れ、図を調整するのが良いと言っている
整理していく段階で、軸がしっかりしてきたら、本来あるべきところが空く(量子色力学やウィークボソンなど)これこそ発見なのでは?

人類の時間的関係認知能力は、言葉の創造以前に確立
それまでは、今を生きる。これによって、過去も未来も生きるようになった

空間的関係認知と時間的関係認知の方法、それが互いに他の方法に翻訳されて、双方がぴったりと噛み合されたときに、ものごとが「わかった!」という感じ

日本人は、情報処理には金を使いたがらない
トンネルの1か所でも塞がっていたら、他の部分がどれほど整理されていても、トンネルとしては無価値なのである。

アメリカ人は、ものごとの一つ一つの概念を、鮮明な輪郭で取り出す傾向がある
KJ法の手続きのうち、「単位化」の段階は、日本人よりもアメリカ人、向きだ。しかし、一区切りされた発言内容や、一単位に叙述された野外観察データなどを「圧縮化」して、一行見出しにするのは、おそらく日本人の方が得意であろう。それはあたかも、僅か17文字の俳句の中に、世界や歴史や人生を圧縮化するにも似ているし、たった一鉢の盆栽の中に、深山幽谷を再構成するにも似ている

アタマの中にモヤモヤとまとまらない問題を抱えていることは、その人の精神衛生上良くない
構造性を壊さないままで、圧縮したキャッチフレーズを作る能力

衆知を集める。BADという小単位のデータをうまく集め、それに意味を見出し…ブランチ・CRT
吐き出しを止めてしまう。「収拾がつかなくなりはしないか」という恐怖心からである
そのため、早々にしぼろうと焦る。しかし、KJ法を使えば、まったく心配無用なわけである

単独に取り上げられたらばかげて見えることでも、全体の構造のなかにいれたときに、はじめて多くの人から賛同されることがある。

自分は全体の中でどういう役割を演じているのか?

分かった上での反対はしばしば有益

人間が全人的生きるということはどういう事か
日本は「無の哲学」を、まだ決して自覚し理論化し国際社会の共有財産として提供しようとはしていない

混沌から秩序を生むにあたり、「混沌を語らしめて秩序を生む」ということが、限りなく重要な一面である。


#発想法
#川喜田二郎


いいなと思ったら応援しよう!