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Photo by
fujichaku_arashi
20250206 脳は回復する 鈴木大介
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こうして変なネーミングをされたことで、少しだけ苦しさが和らいで、少しだけ立ち向かいやすくなった気がする(ような気がする)
→妖怪に名前を付ける
本来優先すべきことに、必要な脳の余裕を失う
馬のブリンカーはとても大事
全ては自身に入力される情報=刺激を緩和もしくは制限するツール
「人ごみを歩く」に加えて、同時に考えるタスクを軽減する工夫だ
問題解決的会話の困難
大きすぎる感情、特にマイナス感情は言葉にできない
相槌は難しい
使えば回復する 繰り返すほどに再発達する
やれた記憶のあることに挑戦し、やれなくなっていることに気付く。それはそれで十分つらい経験だが、その気づきと、なぜできないのかの理解を重ねていくことは、結果的には僕の苦しさを緩和してくれたように思う
僕の病前の日常生活がどちらかというと「ほとんど得意なことで占められていたこと」
やれる作業をやり易くし、条件を整えることでやれなかったことをやれるようにすることもできる→障害に限らない。データ屋さんにはそういう機能がある
あらゆる不自由において、不自由を障害にするのには環境の調整不全。そしてその結果に現れるのが、二次障害だ
精神障害者認定よりも、高次脳機能不全という言葉が欲しい
「こんなこともできなくなったのか」ではなく「そうした情報の多い環境ではできなくても、環境を整えればできるかもしれない」と、常に工夫を考えることこそ、伴走者に最もお願いしたい事
脳コワさんが職場内にいるということは、その他の職員にとっても職場の環境改善のちゃんすなのでは?