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不自由の中にある自由
私事ですが。
つい先日、飼っていたコーギー(犬)が亡くなりました。 15才でした。
親に連れられて初めて立ち寄ったペットショップで、最初に目が合ったその犬を、私は連れて帰りたいとせがんだ結果、次の週に我が家に来ました。
15年。 自分含め、家族には良いことも悪いことまでもたくさんありました。今思えば、それを1番見ていたのは彼だったなと思います。
容態が急変して、もうダメかと思った矢先、急に呼吸が落ち着き、一夜を超えて家族が揃った瞬間に息を引き取りました。 死際に、家族を待つと言いますが初めて目の当たりにしました。
家族全員が見守る中、お別れを言うように息を吐いて息を引き取った瞬間に。 自由になったんだなぁと感じました。
最後の半年は寝たきりになり。 見たい景色も見れず、痒いところはかけず、痛いところと言えずでも、家族に触られるのは喜んでました。
昔は、人に触られるのは大嫌いな犬だったのに。
一緒にいるなんて嫌がったのに。
当たり前のことができなくなって、我慢することが増えたときに、出来ること、されることの喜びに気づくんだな。
自由なときにすることは自由じゃなくて
不自由なときにできることが自由だと
ありがとう。ずっとそばにいてくれて。
またどこかで必ず会おうな