フィンランド大使館への道🇫🇮2
少し寄り道をして、私が銭湯を通して川崎フロンターレに辿りついたことをまず伝えたい。私が川崎銭湯に行っていなければ、川崎フロンターレには巡り会えなかった。そのことが私の川崎での生活を変えたし、人生をも変えてくれつつあると言っても過言ではない😃
私のホーム銭湯♨️川崎富士見湯♨️
他の記事でも書いたが、私が川崎に越して来て初めて行った銭湯♨️川崎富士見湯
家から徒歩3分の場所🏠東京郊外から越してきた13年前、新しい環境で誰も知り合いや友達がいなくても、銭湯だけには通った♨️
娘が産まれ、3歳ぐらいになった時からは一緒に連れて行った。富士見湯のご家族の方々には娘の面倒をみてくれたり、大変お世話になった。
でも、その時はフロンターレとはまだ出会ってはいない。もちろんサッカークラブが川崎にあるとは何となく知っていた。しかし、仕事や生活に忙しく、それに触れる余裕なんて全くなかった。
そして、今からちょうど2年前。
2021年の春頃であっただろうか🌸
前年の2020年、川崎フロンターレがJ 1と天皇杯の優勝を決め、その年をもってチームの中心であり続けた、中村憲剛選手が引退を決めた。
川崎フロンターレは、長年に渡る憲剛選手への感謝を込めて「One four Kengo」と銘打ち、憲剛選手を称える様々な企画を行った。
その中の一つに、川崎浴場組合が憲剛選手への感謝企画として、「ケンゴ湯」という企画を立ち上げた。
川崎富士見湯と武蔵小杉にある今井湯の浴室内の壁絵一面に憲剛選手の絵が描かれた。普段は銭湯の絵と言ったら富士山や海、山の景色というのが当たり前だが、サッカー選手を絵にするなんて、どこから生まれてくる発想だろうと驚いた。
特に富士見湯のケンゴ絵は衝撃だった!
2017年フロンターレのJ 1初優勝🏆の時、感極まってケンゴ選手が等々力のピッチで泣き崩れたシーンが富士見湯の壁一面にペンキ絵で描かれていたのである!そのインパクトは凄かった‼️
嬉しさ、興奮、それまでずっと2位で優勝できずシルバーコレクターと言われ続けた悔しい気持ち、色んな感情がきっとケンゴ選手の心の中に押し寄せ、その感情が優勝したことにより爆発したのだろう。優勝が決まった瞬間、全ての感情から解放され、泣き崩れた。
こんなシーンを、しかも銭湯のペンキ絵にしてしまうチームっていったいなんだろう?そして、いろんな思いが爆発した憲剛選手、サッカーをやっている、やっていなくても観てると、こういう経験もできるんだと思い、自分も等々力に行ってみたいと強く思ったことをいまでも良く覚えている。
その時から私のフロンターレ生活が始まった🐬富士見湯のご主人から色んな情報を伺い、とにかく一度等々力へと⚽️すぐに武蔵小杉のアズーロネロへ行きファンクラブ入会、そしてチケットを買い初の等々力へ🏟
ケンゴ選手は引退してしまった後なので、その勇姿は見られなかったが、初めて行った試合で今イングランド🏴で活躍している三笘薫選手が2ゴールをあげ、一気に虜になってしまった😃その場で三笘選手の応援タオル即買い😁
そして、サッカーだけではなく、試合前のイベントも楽しいことが盛りだくさん😊陸上、相撲、宇宙、海底、献血、色んなこととコラボして、サッカーを知らなくても、誰でも楽しめるような企画、本当に暖かく、誰でも参加のできる裾の広いチームだと感じた。
また、東日本大震災後からは、岩手県の陸前高田市との交流も始まり、クラブスタッフやサポーター、選手も陸前高田へ行き、サッカー教室を開いたり、田植えをやったり、陸前高田の人たちとの交流も継続的に行っている。
その話を聞き、私もとても興味を持ち、私自身も東北の友人を頼りに陸前高田まで行った。
どうしてここまでして、私自身がフロンターレの活動に共鳴をしたのか?と疑問を持つ方もいるかもしれない。
それは、私が川崎に越してきての約10年、自分自身の生活、仕事が本当に大変な時期であった。
初めて住む街、仕事場も順調とは言えず、むしろ馴染めない状態であった。家と仕事場の往復で、それ以外のことは何も見えなかった。
家族の事情で川崎に越してきたのだが、住む環境が変わること、転職すること、どちらも大丈夫だろうと甘く考えていたと思う。
職場のほうは苦しい時期が続き、上手く馴染むことができず、体調も崩して酷いときは入院もした。
心が全く動かない、生きているのか、死んでいるのかも分からないぐらい、とにかく本当にそんな状態であった。
そんな状態でも、銭湯だけには通った♨️そこだけは唯一、自分をかろうじて取り戻せる場所だったかもしれない。娘を連れて行った時も、富士見湯のお母さんが娘をみていてくださり、「お父さん、ゆっくり入ってきなよ」と、本当によくしてくださった。川崎に来て初めて人と人との温かさを感じた時だったかもしれない。
しかし、仕事漬け、心も身体もずっとそんな生活から抜け出したかった。自分の心が動き、生きているんだと思う生活がしたかった。それをずっと探している中で出会ったのが、ケンゴのペンキ絵、そこに繋がる川崎フロンターレだったと思う。
自分はそれまで周りを見る余裕なんてなかったが、少し脇道を覗くと、こんな熱いことをやっている。少し脇道に降りると経験ができる。そんな心動くような活動、体験ができる。それが自分の生きている証になるのではないかと。
現に川崎のサッカーを等々力に見に行き始め⚽️その時はコロナで声は出せなかったが、勝った負けたでハラハラドキドキを体験し、勝った時の嬉しさ、負けてもまた次がんばろうぜと前を向く選手、それを後押しするサポーター。試合前は遠くから等々力まで足を運んでくれたアウェイチームのサポーターへの感謝の拍手👏
どれも私にとっては涙の出るぐらいに新鮮で暖かく、涙の出ることも多々あった。こんな経験をできるなんて、こんなことを川崎に越してきてできるなんて、やっぱり自分は生きているんだ!そう強く思えた時だった!
川崎の応援、川崎フロンターレに触れて、共に参加することは自分自身を取り戻す必要不可欠なことになっていった。
身体も心もボロボロだった時を知っている家族は、私がフロンターレを通して元気になっていく姿をみて、元気を取り戻せるなら等々力に行ってきなよ⚽️と試合の日はいつも送り出してくれる。本当にありがたいことである✨
そんなことが、川崎銭湯を通して♨️私が川崎フロンターレにハマっていった大きな理由である!
フィンランド🇫🇮からだいぶ脱線してしまった😅