鉄道謎ファイルNO03 何故「廃線」ではなく「休止線」だった? 謎の安比奈線について解説!
西武鉄道にかつて存在した「西武安比奈線」。
この路線は鉄道ファンからは「幻の路線」と言われており、1952年に開業、1963年に運転を休止し、2017年に正式廃止された。
この64年間は「休止線」だったのである。
では、何故「休止線」だったのかを解説していこう。
[概要]
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\begin{array}{|l|l|} \hline
\text{路線名} & \text{西武安比奈線} \\ \hline
\text{読み仮名} & \text{せいぶあひなせん} \\ \hline
\text{運営内容} & \text{砂利輸送} \\ \hline
\text{保有会社} & \text{西武鉄道} \\ \hline
\text{駅数} & \text{2駅} \\ \hline
\text{駅} & \text{南大塚〜安比奈駅} \\ \hline
\text{路線距離} & \text{3.2km} \\ \hline
\text{路線数} & \text{単線} \\ \hline
\end{array}
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[路線の歴史]
入間川で採取した砂利の運搬を目的として1925年(大正14年)2月15日に開業した。当初は砂利線と称されていた。関東大震災の復興砂利の需要減や採取規制強化により、1963年以降、休止扱いとなっていた。
1987年、西武新宿線の旅客増に対応するため上石神井駅 - 西武新宿駅間を複々線とする計画が発表され、それに伴う車両の増備のために安比奈駅に新しい車両基地を作る計画が浮上した。川越市と狭山市では仁杉巌社長(当時)が出席し地元説明会も開催された。当路線の旅客線・通勤線化という話まで出ていたが、少子高齢化などの影響で需要予測が下方修正されたため、この計画は1995年(平成7年)に無期延期され、後に正式に中止となった。
計画が無期延期となったのちも、川越市では2006年に策定した第三次川越市総合計画実施計画において、安比奈線の旅客線化及び新駅の設置を促進する施策を盛り込んでいた。その後更新された際にもこの施策は残されており、2015年に更新された際にも引き続きこの施策の記述が残っている。
しかし、西武鉄道では2016年2月10日に安比奈車両基地の整備計画の廃止を発表し、関連して減損損失126億4000万円を2015年4 - 12月期に特別損失として計上した。廃止決定の理由について、西武ホールディングスは「南入曽車両基地の増強などにより、新基地の必要がなくなった」と説明している。なお実際には南入曽車両基地の増強以外にも、拝島線内に玉川上水車両基地の新設を実施しており、この時点で安比奈車両基地の必要性はなくなったことも影響している。これにより、安比奈線も復活することなく廃止の手続きが進められ、2017年5月31日に廃止された。
この路線の特徴として、休止時点の1963年時点の踏切は、国道16号と交差する部分の1か所のみが踏切警報機や遮断機が設置されている第1種踏切であった以外は、すべて踏切警報機や遮断機が設置されていない第4種踏切であった。このため、国土交通省の路線別の統計資料では2017年の廃止までの間、西武鉄道でも第4種踏切の設置数が記録されていた。なお、この国道上の第1種踏切は、1990年代まで踏切警報機や動作反応灯が残されており、動作反応灯は休止当時のX字型の物であった。
[いままで廃止にしなかった理由]
安比奈駅に車両基地を導入しようとしたが、必要性がなかったから
安比奈線の終着駅だった安比奈駅周辺には、広い土地があり、車両基地計画があった。
しかし、車両基地の必要性が無くなり(拝島線に車両基地を新設したため)、廃線にした。
[休止線を維持するのは大変?!]
休止線を維持するのは、国土交通省に毎年「この路線は休止線としてますよ」という書類を提出しなければならない。
これを西武鉄道は64年間続けるほど、車両基地計画に力を入れていたのがわかる。
ということで、今回はここまでです!
次回は番外編として、「西武鉄道の夢の延伸計画」について語っていきたいと思います!
西武鉄道の話ばっかですみません…
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次回の通常の謎ファイルは西武鉄道以外の鉄道の謎を紹介していきますので、楽しみにしててください。
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