小説「自殺相談所レスト」6-2
自殺相談所レスト 6-2
登場人物
依藤シンショウ……腕利きのスナイパー。機転が利く。
嶺井リュウ……超能力者。依藤に何かを隠している。
雨野舞……嶺井に無理心中を依頼した。計画を手引する。
雨野哲司……舞の夫。DV加害者。建設会社社長。
雨野香織……娘。友達には言えない秘密がある。
年が明け、一月の中旬に計画実行となった。スーツ姿にメガネをかけた嶺井はまさにセールスパーソンといった見た目だ。雨野舞の手引きにより、屋敷内に入った嶺井は、ネット回線の相談と称して亭主の雨野哲司と会って話をしていた。
「いやあ助かりました、ネットにはまるで疎くて。」
「お気になさらず。そういった方々の手となり足となるのも私たちの仕事ですから。」
「立派なプロ意識ですなあ。」
「恐縮です。」
様になってんな嶺井のやつ。
嶺井の襟に付けたマイクで、俺は会話を聞いていた。屋敷の外で覆面を付けて待機し、嶺井の合図を待っているわけだが、少し待ちくたびれた。
「お茶をお持ちしました。」
雨野舞の声だ。
「会社の役員にも出さないダージリンティーです、ぜひ。舞、お前も嶺井さんの話を聞きなさい。」
嶺井が小さく咳払いをした。侵入の合図だ。俺は屋敷の塀を乗り越えた。
「素晴らしい香りだ……」
嶺井はのんきに紅茶を飲んでやがる。
「でしょう?そうだ、少しお時間よろしいですか?自慢の娘がじきに帰ってくるので、挨拶させたいのですが。」
「あなた、香織は今日友達とカラオケに行くって。」
「何?せっかくいい社会人の見本のような方がいらしているというのに。一目会うだけでもできんのか?」
嶺井がまた小さく咳をした。わかってるよ、何度も合図を送らなくていいって。
「お気持ちだけでうれしいですよ、雨野さん。」
嶺井の声は少しかすれていた。なんだ?
「惜しいですなあ、香織はどこにやっても恥ずかしくない、出来た娘なんですよ。実に惜しい……」
「うっ、」
今度は嶺井が小さくうめき声を上げた。何かおかしい。雨野哲司がしゃべりつづけている。
「せっかく、香織に見せてやろうと思ったのに……バカな若造がもだえ苦しむところをな!」
ガタンという大きな音がした。
嶺井が倒れたのか?何が起きてる?
「雨野さん、なぜ……?」
嶺井も状況を呑み込めていないらしい。俺は玄関のドア付近で立ち止まった。
「舞は俺を選んだ、そういうことだよ、バカ!」
雨野哲司の怒鳴り声。
「ごめんなさい、嶺井さん……」
雨野舞の声は震えている。
まさか、この女!
「舞のことは全てわかってるんだよ!最近隠し事をしていることも、どうやったら秘密を吐くかも、全てだ!」
嶺井は恐らく、紅茶に毒を盛られたんだろう。計画がばれている以上逃げるのがセオリーだが、こんな面白い状況はそうそうない。突入するぜ!俺は予定通り庭に向かった。
「舞さん、逃げて、ください……」
嶺井の奴、自分の心配をしろよ。
「無駄だよバカ!舞はなあ、怖くなったんだ!主人を裏切る罪悪感に耐えられない、弱い女なんだよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「そんな舞はな、俺が守ってやるしかないんだ……見ろ、舞、わざわざ今日のために取り寄せたんだ……これから殺し屋が来るんだろ?こいつで返り討ちにしてやる……」
なんだ?向こうも武器を持ってるのか?上等だぜ。
俺はデザートイーグルを取り出し、庭に面した窓を撃った。窓が砕け散り、カーテンの向こうのリビングから悲鳴が聞こえた。
「おらおらぁあ!」
俺はカーテン越しに三発撃った。どれかは人に当たったはずだ。すかさず部屋に飛び込む。
「なにっ!」
驚いたのは俺だった。雨野哲司が、雨野舞を盾にしている。
「ちくしょう!」
雨野哲司が動かなくなった妻の体をどかし、手に持った銃で撃ってきた。俺はとっさに体をひねったが、銃弾は俺の左肩を貫いた。
いってぇ!だが盾を捨てたのは失敗だぜ旦那さんよ!
俺のデザートイーグルが火を噴いた。雨野哲司が声を上げてひっくり返った。
「い、いたい、助けてくれ……」
倒れて命乞いをしている雨野哲司に近づいて、俺はとどめの一発を撃ち込んだ。
「素人の分際で俺に一発当てたのは誉めてやるよ……さて……」
俺は傍に倒れている雨野舞に銃口を向けた。背中に一発食らってるがこの女はまだ息がある。
「待ってください、依藤さん、それは僕の仕事です……」
嶺井が立ち上がっていた。
「なんだ嶺井、生きてたのか。」
「舞さんは悪くない、脅されたんです。」
「知ってるさ、会話は全部聞こえてたからな。どのみち依頼人は虫の息だぜ?」
嶺井は俺の意見は無視して、雨野舞に近寄り、その体に触れた。雨野舞の荒い呼吸が治まっていく。これも嶺井の力なのか?
「痛みを麻痺させました……舞さん、何か、言い残したことはありますか?」
「わ、私……ごめんなさい、私のせいで、お二人に、」
「俺は気にしてねえぜ?むしろ楽しかったくら、」
俺は言いかけた言葉がのどにつっかえたように出なくなった。嶺井を見ると、俺の脚に触れている。こんなこともできるのかよ。
雨野舞がほほ笑んだ。
「まるで魔法使いですね、嶺井さん。」
「ええ、内緒にしてくださいね。」
雨野舞が力なく笑った。
「ありがとうございます……主人も私も、人としての道を踏み外しました。どうか、香織だけは……」
「大丈夫です、きっと幸せになりますよ。」
舞が息絶えた。こんな俺にも分かるくらい、安らかな死に顔だった。嶺井が手を離し、俺ののどのつっかえが取れた。
「俺は何人も殺しまくってるがよ、命乞いも負け惜しみも言わなかった死に方は初めてみた。嶺井、お前の仕事ってのは、」
その時、背後に気配を感じた。
「誰だ!」
振り返り銃を向けた先にいたのは、一人の少女……資料で見た顔、雨野香織だった。
「マジかよ、帰ってきちまったのか?」
「依藤さん、銃を降ろしてください。」
「警察を呼ばれるわけにはいかねえ、とりあえず縛り上げるか?」
「パパとママを殺したんだよね。」
雨野香織が口を開いた。その声はやけに落ち着き払っている。
「頼んだのはママ?ねえ、ついでに私も殺しちゃってよ。」
はあ?何言ってんだこの娘は?
「俺は……無駄な殺しはしねえ。」
俺も何を言ってるんだ?
「じゃあいくらなら殺してくれる?こんな体でもよければ払うけど。」
この娘、死にたがってるのか?それに体だと?正気か?
「香織ちゃん、僕らは何もしないから。もう終わったんだ。」
嶺井は普通に話している……
「終わってないよ。私はまだ苦しいから、お願い……」
「君には親戚がいるだろう、その人たちのところへ、」
「どうせパパにされたことは消えないから。」
香織が嶺井を遮った。その声は少女の物とは思えない、深い絶望をはらんでいるように、依藤には思えた。
「もう疲れたの、何も考えたくないの……」
殺しちゃってよ……こんな体……パパにされたこと……おい、まさか。
「おい嶺井、そういうことなのか?」
「お願い……!早く……!」
香織は今や跪いていた。嶺井が駆け寄り、その肩を抱いた。すると、少女は嶺井の胸に倒れこみ、静かになった。
「殺したのか?」
「いえ、気絶させただけです……香織さんのことを黙っていてすみませんでした。虐待の真実を世間から隠したい、それが舞さんの依頼でした。」
なるほど、旦那を殺して闇に葬ろうってわけか。他の誰にも相談しなかった理由もわかった。雨野舞の言ってた、『人としての道を踏み外した』ってのも、こういうことか。
「舞さんは哲司さんの娘への乱暴を止められなかった。その自責があったから、自らも死を望んだ。最初は自分の手で無理心中を決行しようとしたそうですが、恐怖心からそれができなかった。」
「それでお前に依頼が来た……」
恐怖を和らげることのできる、嶺井リュウに。
「依藤さん。舞さんの意志には反しますが、この子をしかるべき専門家のもとへ連れて行こうと思います。手を貸してもらってよろしいですか?」
おいおい、余計な情けをかける気か?これだから堅気は。だが……
「いいけどよ、助けるのは殺すより高くつくぜ?」
嶺井のバカにもう少し付き合ってみるのも、面白そうだ。