小説「自殺相談所レスト」8-5
自殺相談所レスト 8-5
登場人物
嶺井(ミネイ)リュウ
久遠(クオン)
穂村(ホムラ)アカネ
嶺井は全身汗だく、息も絶え絶えで地面に倒れていた。依藤や森元は見当たらない。手足は拘束されておらず、撃たれた傷もない。地面の感触がアスファルトから土に変わっており、今いる場所は廃工場ではないことがわかった。
「ここはどこだ?」
立ち上がり、見渡す。一面の霧。何も見えない。
「まさか……僕は死んだのか?」
嶺井は死後の世界を信じていないが、自分が超自然的な力を持つ以上、そういったものを否定することはできなかった。
「いいえ、まだ生きています。」
霧の中から久遠が現れた。今日はおもちゃの、吹き戻しをもっている。
「久遠……生きているんだとしたら、ここはいったい……」
「ここはあなたの精神世界。もっとわかりやすく言うと、走馬燈の世界です。」
走馬燈の世界、という表現が分かりやすいとは思わなかったが、久遠の言うことなので深く考えないことにした。
「要するに、僕はまだ死んではいないけど、死ぬ直前ではあるってことか。」
「その通り。」
嶺井は力なく笑った。
「最後に見る顔が君だなんてな。」
「あんまりですね。せっかく助けに来たというのに。」
「助けに?」
「昨日、言ったでしょう?私は触れた人間に生命力や活力を与えられます。これまで居候させてもらったお礼に、一、二回撃たれても死なない体にしてあげますよ。」
久遠は得意げな顔をしている。
「マッサージ程度の効果しかないんじゃなかったのか?」
「一回分ではね。しかし私はこれまでこの力をほとんど使わず溜め続けてきました。全て放出すれば、かなりの生命力になります。」
久遠はこの時を待っていたと言わんばかりの顔だ。彼女の言うとおり、銃弾に耐えるくらいはできるのだろう。だが……
「久遠、気持ちはありがたいけど、無駄だよ。依藤の銃弾を耐えてもその場しのぎにしかならない。」
僕は拘束されたままだし、関とチヨちゃんは人質のまま、どのみち手詰まりだ……
嶺井は地面にひざをついた。
「僕はどこで間違えたんだろうな。」
久遠は肩をすくめた。
「さあ、付き合いの浅い私には何とも……あちらの彼女の方が詳しいかもしれません。」
あちらの彼女?
嶺井は振り返った。
「やっほー、久しぶり。」
霧の中に、穂村アカネが、立っていた。
「どうして?」
とっさに嶺井の口から出た言葉はそんなものだった。
「だってここ、リュウの走馬燈だよ?そりゃ私もいるよ。」
当たり前であるかのように言ってのけるが、嶺井はまだ混乱していて言葉を呑み込めていなかった。
アカネが近づいてきた。看取ったときと同じ、パジャマ姿で、ニット帽を深くかぶっている。少しやつれた顔も、最期の時のままだった。
「『自殺相談所レスト』だって?もう、私のことなんかさっさと忘れちゃえば良かったのに。」
「できないよ、そんなこと!」
「ふふ、冗談。その顔懐かしいなあ。」
アカネはコロコロと笑っている。
そうだ、あの頃はよくこうやって僕はアカネにからかわれてたんだっけ……主に不謹慎ネタで……
嶺井は自然に、自分でも気づかないうちに、涙を流していた。
「ごめん、アカネ、僕はもうすぐそっちに行くよ……」
アカネは優しく笑っていた。
「思ってたより早いね。」
嶺井は涙が止まらなかった。
「あの時からずっと、僕は何のためにこの力を授かったんだろうって考えてた……君みたいに死が救いになる人がいるのなら、その人たちのために力を使おうって……でも結局それは人殺しだし、やっぱり僕の思い上がりかもしれないって……こんなことになったのも、報いなんじゃないかって……」
堰を切ったように言葉があふれだした。アカネはそれを優しく微笑みながら聞いている。
「ホント真面目なんだから。リュウは間違ってないよ。」
アカネが肯定の言葉を、あまりにも気さくに言ってのけたので、嶺井は少し困惑した。
「え?」
「私はあの時、ありがとうって言ったじゃん。この人たちにも言われたでしょ?」
リュウはその時、アカネの背後に、何十という人影が立っていることに気づいた。霧に隠れて見えないが、そこいる人たちが誰なのか、すぐに見当がついた。
あなたたちは、ずっと、そこにいたのか……
アカネが、何かを思い出したように言葉を続けた。
「あ、でも待って。リュウは私の余命ジョーク全然笑わなかったし、残業で病院に来れないことあったし、たまにお使いのプリン違うの買ってきてた。間違いだらけじゃん、前言撤回。」
ふくれっ面をしているアカネを見て、リュウは思わず笑ってしまった。アカネの背後の人影たちの中からも、くすくすと笑い声が聞こえた。
「リュウ、やっと笑ったね。」
「君は、相変わらずだな。」
「だって死人だもん。」
アカネはいたずらっぽく笑った。嶺井は、それにつられて微笑んだ。
「いちゃついてるところすみません、そろそろですよ。」
黙っていた久遠が口を開いた。
「あ、そっか。リュウ、どうする?」
「どうするって?」
「こっちとあっち、好きな方に行けるよ。」
嶺井は立ち上がった。アカネ達のいる方か、久遠のいる方か。リュウはアカネを見て言った。
「今すごく君の方を選びたい。」
本心だった。
「わかってる。」
嶺井はしかし、振り返って久遠を見た。
「久遠、思いついたことがあるんだ。」
「なんでしょう。」
「君の超能力で、知力や体力を本来以上に強化することはできるか。」
「効果は一時的ですが、可能ですよ。具体的には何を?」
「僕の殺しの『力』を高めてほしい。」
久遠は意外そうな表情をした。
「ほう……確かに、超能力も鍛えられますからね、いいでしょう。」
「ありがとう。」
嶺井は今度は、アカネ達の方を向いた。
「アカネ、そしてみなさんにも……ありがとう。会えてよかった。」
アカネは、特に残念そうな顔はしていなかった。嶺井の選択を初めから知っていたようだった。
「うん。わたしも。お兄ちゃんに、大バカ野郎って伝えといて。」
「わかった。またね。」
「またね。」
急に、霧が濃くなった。アカネと、たくさんの人影は見えなくなった。嶺井が再び振り返ると、久遠が近づいていて、こちらに手を差し出していた。嶺井は無言で、その手を取った。
その瞬間、嶺井の意識が揺らいだ。