小説「自殺相談所レスト」7-2
自殺相談所レスト 7-2
登場人物
嶺井リュウ……超能力者。年々その力は強くなっている。
依藤(ヨトウ)シンショウ……腕利きのスナイパー。実は酒もたばこもそんなにやらない。
久遠(クオン)……嶺井の意識の中に居座る生き神。入浴・排泄中は現れない。
富山(トヤマ)タケル……ホームレス。高校生の娘がいる。
関モモコ……嶺井の助手。一人で留守番できる。
その日も嶺井は事務所を空けていた。いつもと違うのは、その目的が依頼人の『お見送り』遂行ではないということだ。嶺井は駅前のロータリーに佇んで、依藤からのメールを確認していた。
『お前の姿が見えた。例の場所へ移動する。』
依藤が行動開始したか。なら次はこちらだ。
「久遠、尾行者は今日も来てるんだろ?」
嶺井がそう呟くと、背後に何者かが現れた気配を感じた。
「ええ。ばっちりついてきてますよ。しかしあの人、いつも同じ格好で芸がないですね。変装くらいすればいいのに。」
久遠は相変わらずおしゃべりだ。嶺井は歩き出した。久遠が話しながらついてくる。
「嶺井さん、私ねえ、この間、面白いことがありましてね。」
嶺井は無視した。
「あなたの夢に迷い込んだんですよ。そこで知ってしまったんです。穂村アカネさんのこと。」
アカネのことを知っただと?
「あなたの行いは、とても尊いものだと、個人的には思いますよ。あなたがこんな仕事をしている理由も、なんとなくわかりましたしね……しかし……」
久遠は意地悪く笑った。
「これからあなたがしようとしていることは、果たして尊い行為なんでしょうかねえ。」
嶺井は答えなかった。というより、答えられなかった。自分でもそれは、悩んでいることだったからだ。
駅から少し歩いたところに、廃工場があった。周辺に住宅地がなく、人気はない。嶺井はその工場に入っていった。久遠が尾行者の実況をする。
「例の彼もついてきますねえ、まあ、嶺井さんが普段立ち寄らない場所ですし、彼は興味津々でしょう。」
嶺井の携帯がなった。依藤からのメールが来ている。
『待機してる。いつでも撃てるぜ。』
嶺井が返信した。
『合図をしたら頼む。』
「久遠、男との距離はどれくらいだ?」
「およそ15メートル。今は入り口のドラム缶の陰に隠れています。」
「わかった。きみはここにいて、男がもっと中に入ってきたら教えてくれ。」
嶺井は工場の奥へと歩き出した。奥へ、奥へ、入り口から確実に死角になるように進んでいった。
「嶺井さん、彼が出てきましたよ。」
よし……嶺井はメールを打った。
『依藤、頼む。』
メールを送った直後、背後からギャッという叫び声が聞こえてきた。嶺井は急いで引き返した。ホコリまみれの床の上に男が倒れている。
「げっ、嶺井!」
男が何か言いかけたが、それより早く嶺井が手を向け、『声を殺し』た。男はいくら叫んでも声が出ず、ただ恐怖の表情を浮かべている。嶺井が駆け寄ると、ちょうど依藤も現れた。肩にスナイパーライフルを担いでいる。
「上手くいったな、リュウ。」
「ああ、さっそく始めよう。」
嶺井は手をかざしたまま、倒れている男に向き直った。
「これからあなたの声を戻す。どうして僕を尾行していたのか教えてほしい。」
嶺井がかざしていた手を下げると、男は息を吹き返したように喋り出した。
「俺をどうする気だ、殺すのか?!」
「それはあなたの態度次第だ。」
「様になってんな、リュウ。」
依藤の無駄口を無視し、嶺井は話を続けた。
「まず君は何者だ?」
嶺井は自分でも驚くほど、冷徹な声を出していた。男が慄きながら答える。
「お、俺はただのホームレスだ、名前は富山……」
「何故つけてた?」
「それは、頼まれたからで……」
口止めされているのだろう、男は歯切れが悪かった。
「誰に?」
依藤が気を利かせ、ライフルを富山に向けた。
「ひっ……し、知らねえんだ、あの男にあったのは一度きりで、変装してた。それ以降はネカフェでメールの依頼を受けてたんだ!」
この必死さ……嘘をついているようには見えないが……
「リスクのある仕事だとは思わなかったのか?」
「思ったさ!でも、家族を人質に取られてるんだ!」
人質?
「あの男は妻と娘の住所を知ってた!」
依藤が怒鳴った。
「てめえ出まかせ抜かしてんじゃねえぞ!ゴラァ!」
「やめろ。」
依藤は尋問を楽しんでいるようだが、嶺井はそれどころではなかった。
「その男の情報をできるだけ詳しく話せ。そうすればあなたの家族を保護しよう。」
嶺井は交渉を持ちかけたつもりだったが、富山は何故か恐怖に目を見開き、震えだした。
「あ、あ……」
「ああ?なんだよ、なんか言えよ。」
「あの男が言ったとおりだ、あんたら、読まれてるよ。」
何?
「こうなることがわかってたんだあいつは!言われたんだ!お前は掴まって拷問されるかもしれない、家族を守ると打診されるかもしれない、そうなったときの振舞い方は考えておけって!」
さすがの依藤も驚いていた。
「こいつは、捨て駒か!」
「嶺井リュウ!頼む!俺を殺してくれ!俺が死ねば、あいつは人質を取る意味がなくなる!」
嶺井は慌てて手をかざし、富山を黙らせた。
「冷静になれ、富山。生きて家族に会わせてやる。」
だが嶺井自身は冷静さを失いつつあった。
この展開が、富山をけしかけた人物の想定内だというのか?やり方から言って警察なんかではない、もっと危険な相手ということになる……
嶺井が力を緩めていたため、富山がしゃべりだした。
「嶺井リュウ、余計なことはしなくていい、もともと離婚したのも俺のせいなんだ、俺はもう妻や娘の人生に関わっちゃいけないんだ、さっさと自殺しちまえばよかった、でも怖くてよ……だけど今ならチャンスだ……」
富山は今や、懇願するようなまなざしで嶺井を見ていた。嶺井は悟った。この男は、嶺井が超能力で人を安楽死させられることを知っていると。
「おいリュウ、俺なら殺す、こいつは味方には出来ねえ。気が乗らねえなら代わるぜ。」
「待ってくれ依藤。まだ手はある。富山、よく聞け。人生をやり直したくはないか?恐怖や自己嫌悪の記憶を、僕の力で消し去ってやる、あなたにだって、希望が全くないわけじゃないだろう!」
「けどリュウ、それって、」
「今は黙っていてくれ!」
わかってる、記憶を消す力はまだ使ったことがない。だが使うとしたら今なんだ!
富山の方を見ると、彼は今度は、笑っていた。泣きながら、笑っていた。
「へへへ、嶺井リュウ、あんた何もわかってないよ……希望ってのは重いんだよ……あんた他の依頼人に対してもそうなのか?心の中にまで手を加えて、生きろって洗脳するのか?それってただの自己満足じゃないのか?」
嶺井は、返す言葉がなかった。視界の隅で、久遠が高笑いしているのが見えた。
「そこまで言うなら、分かった。」
富山は小さく微笑むと、懐から小さな紙切れを取り出した。
「二人の名前と住所だ……」
嶺井は、『お見送り』するときにいつも言っている言葉をかけた。
「他に何か、言い残すことは?」
「そうだな……昨日、あの男に指示されて、相談室にしかけた盗聴器を回収しに行ったんだ、でも、失敗した、関さんと鉢合わせしてな。」
依藤が反応した。
「なにぃ!」
「関さん、とてもいい子だな……訳ありな子なんだろ、大事にしなよ……」
「もちろん。」
富山は目を閉じ、手を差し出した。嶺井がその手を取り、力を使った。
ちょうど同じ時刻、関モモコは事務所の応接室で一人、多めに焼いたクッキーを食べていた。今日の焼け具合はちょうどいい。しかし、彼女にいつもほどの快活さはなかった。
「今日は来ないのかな……」
そう呟きながら、関はまた、時計を見た。