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大嫌い大嫌い大嫌い大好き人類
先日好きな芸人さんのラジオを聴きながら作業していたのだが、埼玉県川口市の話題が出たところで「クルド人が大暴れしてるとこな」と言っていてかなりショックを受けてしまい、それ以上聴くことをやめた。
大暴れしているのはレイシストであって、多くのクルド人の人々はそこで暮らしていただけ。
そもそも特定の民族性を理由に攻撃することはれっきとした差別だ。
もしクルド人のファンの方がその発言を聴いたらどんなに悲しいだろうか。
件の芸人さんはレイシストではないのだろうけど、そういう人の口から出た言葉だからこそより悲しかった。
元々発言に少し危うさを感じる部分はあったけれど、根底にはフラットな視点を持っている人だと思っていたから。
まあ、それも好きという気持ちが先行して、都合良くそう信じたかっただけなのだが。
一方で、その一言を持って「最低!嫌い!今日からアンチになります!」となるのも危ういと感じている。
人は多面的なもので、一見同じ思想を持っているように思える相手にだって、「それは違うんじゃないか?」と思うことはあるのだから。
もし件の芸人さんが私の友人だったら、「どうしてそんな風に言うの?」と、まず対話を試みるだろうから。
とはいえやっぱり悲しいので、暫くはラジオは聴けないだろう。
ていうか川口市も川崎市のようにヘイト規制法作ってよ。川崎氏の条例も十分とは言えないけれど、絶対に無いよりは良くなるはずなのに。
そもそもどうしてヘイト行為に加担する人がいるのか、そこから向き合わないことには根本的解決にはならないのだろうけれど。
もちろん誰にも、私にもきっと無意識の差別意識はある。
それぞれ生きてきた環境で世界の見え方は全然違う。
けれどもそれを明確な悪意としてぶつけるのは絶対に駄目だ。それだけははっきり言える。
「人間なんてこんなものだよ」と諦めれば楽だけど、それでも私は考え続けたい。
先日友人に「すよんは人が好きなんだよ」と、言われたことを思い出す。
その時は「こんなに世の中しいては人間に怒り悲しみ失望しているのに!?!?」と思ったけれど、きっと好きだから、希望を捨てることができないから怒り悲しみ失望するのだろうな。