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第27回・逃げている最中

昨日、また一つ歳をとった。
歳を重ねるほどに、自分では誕生日に特別な感情や意味を感じることもなくなったが、節目としては丁度良いシルシのように捉えている。

今年で40歳になった。
一昨日までの39歳と、昨日からの40歳では、何か変わったか?と聞かれても、「特に何も」としか言えない。

たった1日で、ハッキリと分かるくらい変化を感じていたら、41歳には、全くの別人になっているだろう。

生まれた時からと言ったら大袈裟かもしれないが、その頃から比べても、正直「特に何も」の感想が8割を占めているかもしれない。
残りのほぼ2割は、身体的な変化(成長と老化)を感じるくらいだろうか。
生活環境(家庭・仕事・交友関係)にも、変化はもちろんあったが、そこはいくら変わろうが、どんな状況でも生きていることには変わり無いし、それは周りの変化であって、自分の変化ではない。

何人かにお祝いのメッセージをいただいた。
不思議なもので、「おめでとう」と言われると、なんだか気分は悪くないので、「ありがとうございます」と、それぞれにお返ししたが、心底知れた友人に返した言葉は、「ありがとう」ではなく、「まぁまぁ生きたな」だった。

こういうことを書くと、色々とピリピリする人もいるかもしれないが、私はそれほど長生きをしたいとは思っていないし、いつまで生きれるものかぐらいに思っているから、40歳のシルシ経過では、「まぁまぁ生きたな」だろう。

小学生の時、自分の人生を終わらせようと考えたことがある。
日常が苦しくて怖くて、逃げようと思って考えたことだったが、いざ実行に移そうとしたら、生きていることよりも死ぬことの方が苦しくて怖いものなのではないかと感じた。
だから、それらから逃れるために、生きてみようと思った。

生きるという苦しさと怖さに慣れた時、もしかすると死は、それほど恐ろしいものではなくなっているかもしれない。
だから、なんとなく生きてみようと思って、今も逃げ続けている。

あれから何年も経ったが、私は特に何も変わっていない。
例えば、この目で見て認識する『赤』は、あの時と同じままの『赤』だし、『嬉しい』は『嬉しい』という感情のままだし、梅干しは酸っぱいままだ。

丁度1年前の昨日。私は、ベトナムから日本に帰る飛行機の中にいた。

38歳の最後の数日で経験したベトナムの空気は、確実に私に何かしらの影響を与えた。
先ほど、『残りのほぼ2割』と書いたが、そこに足りない部分は、その数日間で起きた変化だ。
逃げ記録39歳のシルシを経過しながら、朝焼けの地球の表面を飛行機の窓から見下ろし思っていたことは、「もっと自分の知らないことを知りたい」だった。

だから、まだ死ぬには早いようだ。


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