第53回・打ち上げ花火、感謝を打ち上げます
ある時、私は周囲から寄せられていた多くの期待を裏切ったことがある。
何をしたのかは具体的には書かないが、時間をかけてゆっくりと、少しずつ少しずつ積み重ねたモノが、片方では一気に露呈し、そして片方では一気に崩壊した。
露呈したのは私が繰り返していた愚行。
崩壊したのは、信用だった。
あの時の、周囲の人間が散っていくスピードは、凄まじいほど早く、まるで大きな音を立てて破裂し、四方八方に散って静かに消えていく、打ち上げ花火のようだった。
ドーンという音と共に、どことも表現出来ないが、私の中のどこかに大きな穴がポッカリと空き、何もかもを失ったような気分になった。
そして、実際に多くのモノを一度失った。
失ったからこそ、これ以上の底は無いのだと覚悟をして、またイチから全てを築いていく日々を過ごし、やはり他者からの信用は大事だったのだなと、反省と感謝を繰り返しながら、毎日を真剣に生きた。
確かに、多くの人間が去ってはいったが、それでも僅かながらに私を信じてくれる存在もあった。
ただ、私はその存在に甘えることは出来なかった。
もちろん嬉しかったし、有り難くもあったが、それだけを心の拠り所にしては、自分はもっと弱い人間になってしまうと思ったからだ。
だから、私は『私には誰からの信用も一切無い』と思うようにした。
もう誰にどう思われようと、関係無かった。
それは、投げやりになったわけでも、諦めでもない。
守るモノが無くなったからこそ、気にするモノが無くなったからこそ湧き上がってきた、なんとも言い難い決心のようなモノだったのだと思う。
そう思って、そんな風に日々を生きていたら、あることに気が付いた。
本当に信用は、集めることの方が大事なのか?と。
今までは、他者からの信用が大事で、自分にとっても必要だと思っていたから、信用を集めることに積極的に動いたし、信用されているなと感じたら、まるで挨拶を返すように相手を信用していた。
だが、信用とは、されたから返す、または、したから返しを待つモノなのだろうか?と。
そう感じるようになっていた。
常に双方向な気持ちでないと成立しないモノだろうか?
そんなはずはない。
もちろん、他者からの信用も大事だが、それ以上にまずは『この人を信用してみたい』と思ったら、トコトン自ら相手を信じ抜くことの方が深くまで関係を考え、より幸せを感じることが出来ると、今はそう考えるようになった。
花火のように弾けて信用が消えてしまったあの時、消えずに私を見捨てることなく信じ抜いてくれた、僅かな火花たちが、新たな火を点けてくれ、行くべき先まで照らし、教えてくれていた。
これ以上、何を望めようか。
この場を借りて、感謝を伝えたい。
ありがとう。