#天気の子 の中での新国立競技場の違和感。
新海誠監督の『天気の子』を観てきた。久しぶりに感想を書いてみたくなった映画なので、noteを立ち上げてみる。
あ、ネタバレは気にせず書いてしまうので、観てない方は閉じて劇場行ってみてください。
クライマックスよりも前半
「昔の新海誠が帰ってきた」とか、「エロゲっぽい」とか、いろいろ感想が盛り上がっているようだが、僕はそこには焦点が向かなかった。
「世界を救うのをやめたセカイ系」という後半の展開に対して言及したい誘惑はある。だが、初回で観たときに僕が印象に残ったのはどちらかというとそこではない前半部分だった。
「お天気ビジネス」を始めた帆高と陽菜と凪の3人が東京じゅうで「小さな晴れ」をつくっていく。『祝祭』という曲をバックに、東京の景色を美しく彩っていくシーンは、風景描写が美しい新海誠作品とセカイ語りのRADWIMPSが出会った『君の名は。』以後を感じさせる。神宮外苑花火大会を空撮的視点から描くのは、過剰なほどそれが意識されているようにも感じた。たぶん、"売れる"のは、その後の展開の部分よりもここだろう。
その美しく心地よいシーンでの違和感がずっと残っている。新国立競技場がぬるっと描かれていることだ。単に観る僕自身の問題なのかもしれないが、東京に暮らす僕の中にまだ新国立競技場は東京の象徴たり得ていない。
ワクワクできない新国立競技場
初めてプロサッカーを観に行ったスタジアムが国立競技場だった。元日に決勝が開催される天皇杯にはほぼ毎年家族で観に行っていたくらいには思い出が詰まっている。
東京五輪にも「税金の無駄使い」と思う気持ちよりは、「せっかく開催するんだから、これを期に東京のスポーツ環境がよりワクワクするものになってほしい」と願っていたくらいだ。そのメイン会場となる国立競技場も、リニューアルしてよりワクワクする東京五輪後のサッカーの聖地になるはずだろうと思っていた。
それが、新国立競技場は二転三転した結果、ワクワクするどころか、「後処理」の回しになっている状況である。オリンピックが終わったあと、どのようにこの土地と建物を活用していくのかよりも、効率よく2020年に間に合うかどうかが焦点になってしまった。陸上競技連盟も、サッカー協会も、大会後のメイン利用をしたがっている話は聞かない。そんな競技場にワクワクはできるはずがないのだ。
「晴れの東京」は東京五輪
そんなことを思い出されながら物語を後半まで観ていくと、この新国立競技場が空撮で登場する「お天気ビジネス」のシーンは、"世間を優先する"ことの象徴として描かれていることに気づく。
自分たちの願いを優先した結果、やめる選択肢として描かれているのが「晴れ」の新国立競技場になる。再び雨に戻る東京の描写では、新国立競技場は出てこない。
おそらく、あの「晴れの東京」というのは、2020年の東京五輪の比喩なのだろう。雨の降りしきる、冷たく汚く描く歌舞伎町が象徴する側の東京が対称的に置かれていてる。最終的な着地はさらに雨に沈んだ東京を肯定する姿なので、監督が肯定したい東京は五輪でない東京のほうになる。
雨雲の中へのモヤッと着地
この映画を観終わったあとのモヤモヤ感は、たぶんこの着地にある。
世界が破滅してもそれを無視して恋人に添い遂げる、というわけではない。雨に沈む東京を選んだことを強調するわりには、雨による災害は描かれないいし、唐突に利用される銃は誰も殺さない。『君の名は。』のように、彼女を救うことで世界を救うすっきりストーリーでもない。
「東京はもともと汚い街だし、それがもっと汚くなる選択肢を自分たちで選ぼうとも、知らん。ここで生きていくんだ」というある意味で中途半端な現実路線を見せられて、来年に控えた東京五輪がいよいよ現実味を帯びてきた感覚に近いことに気づいた。
新海監督も、もともとは個人にフォーカスされた作品が得意だったはずが、いつのまにか「東京五輪的」なものを担がされるクリエーターになってしまった。本人のなかでもその戸惑いと憤りと決意みたいなものがあるのだろう。インタビューでも、小説版でのあとがきでも、強調するように繰り返しそんな発言が見られる。
新海監督が『君の名は。』を経て感じたモヤモヤが、「モヤッとした東京」の『天気の子』生み出したように僕は思う。そんなモヤッとした東京を見せられて、気分はよくない…が、意外と悪くはないと思ってしまう自分が不思議だ。きっと、五輪に対しての自分の気分と近いからなんだろう。そんな映画だった。
参考にしたインタビュー・感想記事群
ここから下はメモ的に記しておく部分です。掘ってて面白かった記事集。
普段あんまりノベライズって読まないんですけど、映画の制作と同時進行で作っていたとのことで「あとから読んでる感」がなかったのがよかったですね。後出しジャンケンではくあくまでも補足5%といった感じ。
褒めすぎな気もするけれど、この作品の肯定的な部分が網羅されている感想記事。「若い人」の感想が聞いてみたい。
今回の登場人物のほとんどが「はみだしもの」であることにフォーカスした感想。この視点でいうと、陽菜と凪が住むのが山手線の端(環状線だから端なんてないんだけどイメージ)の田端ってのは象徴なのかも。
話題になっていた「エロゲのPS2版」記事。
広告(ネイティブアド的な)もふんだんに使いながら、過剰なまでにリアルさを押し出してくる歌舞伎町の描写と、「セカイ」が変わっている話。
アラサーの僕よりも若い、24歳の方の感想。主人公たちに感情移入できないという感想も聞くのだけど、若い人ほどあの帆高たちの感覚に実は近いのかもしれない。
総体としての評価を細かくまとめられている。セカイ系の否定と再肯定という話には納得しつつも、述べられているような強引な展開が、旧来型セカイ系ファンの賛否を生んでいる気がした。
「清貧」の話と最後の「家出」は自身のメタファーだという後半の話に納得。ただ、『君の名は。』から脱皮したかと言われると僕は1/3くらいしか同意していない。
エンタメ的でもなく、セカイ系悲劇的でもないラストへの肯定的な評価。僕も上ではモヤッとしたと書いてはいるが、決して「どちらかでないといけない」とは思わない。
他のインタビューでも同様のものがあるが、僕はこの見出しは半分ミスリードだと思っている。新海監督は『君の名は。』の批判にものすごく敏感で、それをしているであろう旧来型セカイ系ヲタクにある意味で寄り添うポーズを今回の作品では取っているからだ。