ショートショート「ナイトフィッシング ソー グッド」
開始のあのとき、あなたの手がわたしの服にするすると入ってきて片方の指でブラホックとぱちんと瞬時に外されると、あ、やばいハズレ引いてしまったと非常に残念な気持ちになる。
モテなさそうに見える割りに意外とモテてきたんだね。これまでどれだけの女を抱いてきたんだろう、どれだけの体位を知っているんだろうどれだけの人間を泣かせてきたんだろうと頭の中で勝手にかつての恋愛遍歴を妄想して、そしてちょっと萎える。
湿度の高い空気の中、隣にいる彼、三島さんと隅田川花火大会に訪れている。
まだ彼とは恋人じゃない、まったくそんな関係じゃない。ただの同じ職場の人だけどずっと気になっていたから誰にも内緒で花火大会に誘った。
職場で三島さんとはほぼ話したこともなく、同じ部署でもなく、しかしながらただならぬ予感、ピンとくるものがあった。それがなんなのかはよくわからない。正体不明の好意。
職場ですれ違うときにちょっと目が合う、そのとき真っ直ぐに瞳を覗き込んでくれる。ドアを押さえてわたしが通るのを待ってくれる。
買った清涼飲料水を自販機から取り出した瞬間に落としたら、笑ってどうぞと拾ってくれた。
サカナクションのボーカルに顔が似ていて、丸メガネをかけている。サカナクションは特別好きじゃないけど、本当に何が何だかよくわからないけど三島さんをもう少し知ってみたいと思った。
台東区と墨田区の間を流れる隅田川で上げられる花火大会は、墨田区側で見たほうが空いている。そんなことを彼が教えてくれたので、ビニールシートとビールとつまみをいくつか買って、まだ夕方の時間の早いうちに高架下付近の公園に場所をとって青と白のチェックのビニールシートを広げた。
今日わたしが浴衣で来なかったのには理由がある。これまで一度もデートもしたことのない女が浴衣姿で来たら確実に重いし、もし万が一寝ることになったら情事の後、うまく着付けることができないことを懸念したからだ。もし浴衣を着るならば母親に着付けてもらう必要があるから実家に寄らないといけないし。そんなわけで、ブルーのワンピースを着ている。
「じゃあ二宮さん、お疲れ様、乾杯」
彼は体育座りのままビールのプルタブを立て、いい音をさせたあと、わたしの缶に軽く当てた。そのとき、彼の缶がわたしの缶より低くなるようにして当てた。いちいちそういうところが好きだ。彼はゴクゴクと音を立ててのみ、うまいなあとしみじみ言う。
ここに来るまで彼を誘うのは割と至難の技だった。ふつうに考えて、他部署の名前も知らない女にふたりきりで花火大会に誘われて二つ返事でついていく人の方がどうかしている。
宗教の勧誘かあるいはあやしげな商品の購入を押し売りされるかもしれないと考えるのが一般的だと思う。わたしだって同じように声をかけられたら適当な理由をつけて断るだろう。
だからまずは昼休み中にいつもひとりでご飯を食べている彼の斜め前に座って、彼と世間話をすることから始めた。これだってかなり唐突な行為だ。けれども彼はなぜかそれを受け入れ、ごくごく普通の話題から最近興味のある芸能人の話し、好きな本の話なんかをしてくれるようになった。
「二宮さんがさ、最初話しかけてくれたときすごいびっくりしたけどちょっとだけ俺も話してみたかったんだよね。なんか、よく目が合うし、他の人と話してるとき楽しそうに笑う子だなって思ってたから」
枝豆のパックを開けてぷちぷちと豆を出して吸う。コンビニの枝豆にしてはいい塩梅、そういって笑う。笑うと余計にサカナクションのボーカルに顔が似る。あ、そうだといって彼は白い紙袋の中からおいなりさんのパックと割り箸を取り出した。どうしたの、これ?
「親にさ、今日のこと話したらなんか張り切っちゃって。俺さ、あんまりっていうかほとんど女の人と出かけたことなくて。母親がさ、おいなりさん作ったら持って行けって言うんだよ。ちょっと引くよね、あ、マザコンとかじゃないから。嫌だったら全然……」
ふっくらと炊けた大ぶりのおいなりさんがあまりにも美味しそうで、思わず手づかみでひとつ口に含めた。既製品のべたつく甘さではない品の良い甘さが広がる。よく咀嚼して飲み込んでからおいしい、お母さん料理上手なんだねと素直に感想を述べれば、ああよかったと心底安堵したようだった。
母親に対する態度は、未来の自分への態度。
親を大事にしない恋人は、次第にわたしへの扱いもぞんざいになっていった。
紙袋からウェットティッシュを取り出した彼は、はいどうぞと言って笑った。
花火の後の私たちは少しだけ軽くなった空気の中、手を繋いで歩いている。
これまでのよくあるパターンならばちょっと暗い場所に手を引かれて唇を奪われて、次の行為を急ぐのが通常の手順。
しかしながら。
あれ、キスがないぞ。おや、まさぐられないぞ。そんなことを思っていたら浅草駅から上野駅まで到着してしまった。
こんなにフラグをめいいっぱい立てているのに、手しか握らせてくれないの?
「今日は楽しかった。じゃあ俺、山手線だから」
軽く手を上げて、彼が改札の方へ向かおうとした。ちょっと待て、慌てて彼のシャツを掴む。
え、どうしたの?もうちょっと話したい。そう、じゃドトールとか?そうじゃなくて。そうじゃなくて?
最寄りのコンビニでまたビールを2缶と無塩のローストナッツを買って、わたしの部屋に彼を招いた。
「俺、女の子の部屋初めて入る。なんか緊張する」
ぽりぽりと頭をかいて、足臭かったらごめんと付け足す。いいよ、わたしが無理やり連れてきたんだし。
「乾杯」
今日、何度目の乾杯だろう。お互いにいちばん低い位置で缶をぶつけ合う。
もっと知りたい、知って知って知り尽くしてわたしがいちばんにあなたのことを知った人間でいたいと思うことはおかしなことなのだろうか。
「なあ、俺さ女の人と寝たことないんだよ。27にもなって恥ずかしいよな。付き合ったことは何回かあるんだけど。笑えるだろ?」
そういうことも真っ直ぐ目を見て言えるから好きだ。
「三島さんのいちばん初めの人になれる人が羨ましいよ」
初めての人って誰かと比較されないでしょ?それにずっと覚えていてもらえるから。
彼の髪を優しく撫でれば、その腕を持って手の甲に優しく唇を当ててくれた。
わたしを抱き寄せて軽くキスをする。それから長い時間、まったく舌の入ってこないキスをした。わたしからいれてやろうかと思ったがじっと我慢をして唇も動かさない。
じりじりとする気持ちを耐えて柔らかい感触を味わう。
スカートの裾から三島さんの腕がそろりと入ってブラのホックに手がかかった。
30秒、1分……彼はホック外しに精を出したが
「これ、どうなってんの……」
泣きそうな声を上げた。両手でもいい?いいよと答えるも両手で外すのもギブアップして、わたしがワンピースを脱ぎ、背中を見せて外してもらった。
こんなに手間取られたのはいつ以来だろう。愛おしくて振り向いて彼の髪を両手でぐしゃぐしゃにしてやった。
あ、お風呂入ろうよ。俺すごい汗臭いや。彼が途中で我に返って、ふたりでシャワーを浴びて洗いっこする。メガネを取った三島さんは全然サカナクションのボーカルには似ていなかった。
女の人って柔らかい。わたしのいろんな部位を揉んだり撫でたりしながら彼が言う。その声が鼻声になっていたから、さらなる愛おしさを噛み締めた。
まだ知らない、ほぼ何も知らないあなたを行為を通して知ってみたいの。
そんなことを考えるわたしの頭はいよいよどこかおかしいのでしょうか。
【夏の背骨】
「背骨から始まる」
「サカナクション・コネクション」
「ナイトフィッシング ソー グッド」
「真夏の夜の匂いがした」
「蝉の背中」
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