2024.2.23 (金) 大好きな人とのランチ会 ハーブティー 人間関係 他人は自分の鏡 小林聡美のインドダンス
あいにくの雨だけど、すんなり起きられる。今日はランチ!わくわく!
いつものルーティンを済ませる。
迎えに来てもらい(いつもありがとう)お店へ向かう。
手前に誰かが呼んだタクシーが停まっていて、わたしを呼び主と思ったのかドアを開けてくれた。「あっごめん私じゃない……」と思いながら走り抜けて行った。
一部始終を見ていた友人は笑っていた。
いつかいつかと思っていた てりょうりおおや にやっと初来店……うれしい。店内撮影禁止だから、どんな感じなのだろうとわくわくどきどきしていたのだけれど、わたしの好きな感じでとてもよかった。キッチンの感じが特によい。
前日とか当日の朝に、緊張したり「やめときゃ良かった……」と思うことがもうないくらいの安心して会うことの出来る人。いまのわたしにはそんな人がどれくらいいるのだろうか。有難いことです。
これくらいの時間を一緒に過ごしたら大丈夫になる、とかはなくて、多分わからないひとは、怖いのだと思う。相手の感じ方や人となりがわからないから、気付かぬうちに傷つけてしまうかもしれないのが怖い。傷つけられるのも怖い。相手に気を張らせてしまうのではないかと心配だし、私自身が疲れちゃうのも嫌だ。
わからなくてこわい、というのもあるし、なんとなくわかっているからこそ みたいなものもある。そういった類からは適切に距離を置くことができるようになってきたけれど、そうもいかない時があって、きっとそういう時が1番ストレスなのだ。悪気すらない一言ででもそれを受けてわたしはきっと傷つくだろうとわかっている、避けたいけど避ける訳にもいかない でも行かなくちゃいけない 学校 職場 とか、目的があって行かなくちゃいけないけど、ザワザワガヤガヤ、人も物も溢れんばかりで 色んな気に疲れきってしまう ショッピングモールとか。
そんな中でも何の心配もなく、安全に、気を張らずに 純粋に楽しみな気持ちだけで会える友人。ほんとうにほんとうに大切にしたいご縁だし、貰ったから返すとかではなく ただ、わたしのもつ愛を惜しみなく注ぎたいと思う人のひとり。
どれにするかすごく迷う。ご飯の量を選べるとのことで、絶対食べきれないと思い小にしたけど、メイン料理の 鶏肉のすき焼き風 がとっても美味しくて、食べ切れそうだし中にすればよかったなあ。でも最後は満腹だったのでやっぱり小で良かったと思った。自分が食べられるであろう量の見誤りが何回食事をしても永遠に抜けないです。食い意地張ってる。
お店を変えて、KOYOBASEへ。元々工場だったところを改築してカフェにしているので、天井高くて開放感めっちゃいいなーと3回目でも毎回思う。
ティラミスと、飲み物を悩んでハーブティーに。最近ハーブティーがおきにいり。ここもシュクレさんのを卸しているみたい、多治見のお店はきっとどこもそうだよね、こんなに美味しいんだもの。今日は 穏やかな心のためのお茶 。穏やかになった。
最近までハーブティーの本を何冊か読んでいたので、ハーブそれぞれの効能や特徴みたいなものをなんとなくわかっているのだけれど、全然聞いた事のないハーブが入っていて、面白い。君にはどんな力があるの。
はなしをすればするほど、その人の輪郭が少しづつはっきりしていく、魂のかたちとか 色とか温度みたいなものとか 大切にもっている価値観とか 芯 軸 心 そういうものがだんだんとみえてきて、それはなんて素敵なんだろうと またその人の魅力を再確認するような 発見 発掘 するような そんな時間を過ごした。
素晴らしいご縁に感謝をする。
もともとこの方は、慎重で 繊細で ひとを信用することが 信用されることが どういうことかを 愛の様々なかたちを 人の色んな面を 知っている人だから、そんな彼女が、こんなふうにわたしを信じてくれること 自身を見せてくれること 話してくれることというのは、それはものすごく勇気のいることで、信頼の証だなと思う。
わたしの色々な面を知ってもなお、信じてもらえる ということにそれ以上ないうれしさを感じる。好きになってもらえるとか、褒めてもらえるとか、そういうものとは比べ物にならないくらい。
信じるということは、愛のたくさんあるかたちのなかのひとつだと思う。
相手が何かを話してくれたり、その人の思うことや考えることを垣間見せてもらえるとき、わたしはうれしいと感じている。見せてもらえたことがうれしいし、そんな関係になれたことが お互いに気を許し合えていることが、うれしい。
人間関係というのは、息が詰まるような苦しいことや、想像しなかった言動にひとりで悲しむこと そういうこともたくさんあるけど、わたしはそればかりでもないと思っている。要はどう見るかで、そして結局は自分がどう在るかだってずっと思っている。そのとき、なにを見るか 何を切り取るか 人の気持ちは完全に分からないからこそ、それを私はどう受け取るのか、そして受け取ったものをどう返して 御恩や 愛や 素敵なこと 喜びを その人へ 周りの愛しい人々へ どう返していくのか、そうやってひととの関係性はつくられていくから、だから他人は自分の鏡なのだと思う。その殆どは、やっぱり、自分の行いが自分に返ってくる、ってことを、わたしは相手にも自分にもそう思ってる。だからはわたしはいつも言う「あなたが誰かからの優しさをもらうとき、それはあなたが優しさを持っているから。それを渡して、巡ってきているからだよ、だから、出発点はいつだってあなたなんだよ」たまに突然変異でとんでもない変化球投げてくるやつはいるけどね。それは……私たちの循環に必要ない要素なので、輪にいれなくてだいじょうぶ。そんな球も手放して、忘れて、だいじょうぶ。
別れ際に贈り物をいただく。最後の最後まで、あたたかい気持ちをくれるひと。大好き!!!
この方と会う時いつもいつもわたしも何か贈り物を、と思うのに、会う日が近づくとうれしくなっちゃって全然忘れちゃう。てんでへっぽこ。次に会う時はもう少し冷静に、贈りものはどうしようかしら、なんて考える余裕のあるスマートな人間に………、当分先になりそうだ。
帰宅。ほくほくしていると、パートナーが帰ってくる。一緒に夕食の支度をして、小林聡美がインドダンスを踊るYouTubeを観ながら食べる。買ってきてくれたおやつを食べながら、昨日の日記を書く。そのあとほんのりインドダンスを見よう見まねでやってみる。暫くは二人の間で流行りそうだ。
寝支度をして布団に入る。今日はいい日だったなあ……
頭の中がだいぶ騒がしくて、もしかしたら眠れないかもしれないけれど、一度眠ってみる。
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