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take_kuroki
この地球で生きていく仲間
やりたいことや、やりたいことの目的はさまざまだけど、「この地球で生きていく仲間がほしい」は感じている。
わたしの考える「仲間」には2つあって、
まず1つめは生活の仲間。近所に住んでいて、似たような生活を理想にかかげて、畑作業やお茶会をするような仲間。昔でいえば「結」のようなものかもしれない。
動物として命をつなぐための活動をともにするような仲間。協力者的な仲間。
2つめは魂の仲間。生きる中で感じる感覚や、世界の見方が似ている仲間。わかる仲間。前世とかオーラとかそういうよく分からないもので人間を1000通りくらいに分類したときに、同じ属性に分類されるような仲間。
これは日常生活の中で出会うことは少なくて、たいてい本で出会う。
「この人の言ってる感覚、すごく分かる」と思う人。年齢も性別も国籍も超えて共感するような仲間。
遠く離れたところにいる魂の仲間。いざ会ってしまうとあんまり話せなかったり、思っていたよりも気が合わなそうでガッカリしたりする。
だから魂の仲間は魂のまま、会話するわけでもなく、テキストを一方的に摂取できれば満足だったりする。
コミュニケーションって、今この瞬間になされるイメージだけど、時間や空間を超えたコミュニケーションもあるし、そっちの方が頑丈だったりもする。
すべてのことは、仲間と出会うためにやっているとすら思える。人付き合いは活発な方じゃないけど、そういう問題ではない。
同じものに「いいね」と言ったり、「わかってくれるんだ!」と思ったり、ただそういうのをしていたい。だから自然と排他的になって、日常的なコミュニケーションとしては都合がよくはないのだけど。
本当のいいね、わかる!を言ったり言われたりしたくて、生きてるんだと思う。
毎日投稿262日目。
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