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【生きのびる日記】偏頭痛で寝込む日。誰かに何かに赦されていたい

朝9時。目が覚めるとすぐに枕元のスマホを手に取り、Twitterを開く。日課だ。オーディション番組に関する投稿がタイムラインに並んでいるようだが、文字は歪み、点滅し、140文字を読み切ることはできない。

偏頭痛の前兆だ。偏頭痛が起こる30分くらい前になると、視界が歪み、点滅し、液晶画面を指で押したときのようになる。ぐにゃん、ピカピカ、文字は読めない。仕事をバサバサと片付ける日にしたかったけど、今日は寝込むことになりそうだ。

そう思った瞬間、「残念だ」という気持ちよりも、安心感がむくむくと湧いてきた。

体調が悪いから、布団に横たわっていても赦される。何に赦される? 誰に赦される? 分からない。分からないけど、今日のわたしは何もしなくても赦されるのだ。偏頭痛だから。

この感覚は、保健室でよく感じた。中学時代から偏頭痛持ちだったから、よく保健室のベッドで寝ていた。

教室にいる先生に「保健室カード」を書いてもらい、保健室へ行く。すると保健室の先生も「いつものことね」と、ベッドを案内してくれる。

セーラー服のスカートのひだをぐしゃぐしゃにしないよう、そっとベッドに入り、仰向けで行儀よく毛布を被る。わたしは1時間、ここにいていい。偏頭痛だから。わたしは悪くない。

次の時間は苦手な先生の数学だ。でも、わたしは出席しなくていい。その次は給食か。でも、わたしは動かなくていい。

周りの人はいつも通りにテキパキと動いている中で、自分だけは動かなくていいその状況に、心底ほっとしたものだ。

体調不良というものが、何もしなくても赦されるためのアイテムになっていた。

いまだにその感覚が残っているようで、体調が悪くなると同時に安心感が湧いてくる。

体調が悪い。今日は何もしなくても赦される。よかった。

わたしはいったい、何をしたくないんだろう。何を嫌がって、体調不良を求めているんだろうか。

なんにもしないままで、美味しいものを食べたい。なんにもしないままで、人と仲良くしていたい。なんにもしないままで、好きな本を読んでいたい。なんにもしないままで。がんばらないままで。いい人にならないままで。

つねに罪悪感と「赦されていたい気持ち」をセットで抱えながら、子供みたいな気持ちで暮らしている。この気持ちを封印したってどうせ腐るだけだから、共存しながら自分の気持ちを確かめていく。自分の気持を確かめることや、文字に起こすことを、いつか仕事にしていくんだ。「分かる〜」と共感してくれる人たちと、お茶でも飲みながら、花見なり月見なりをしていたい。そう思いながら、なんとか日々をやりすごす。あしたこそ仕事をしなければ、なぁ。

▼歌集『保健室で昼寝したい』伊藤七

自費出版の歌集です。保健室のベッドで寝ていた頃の歌もいくつか詠みました。


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伊藤七 | ライター
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