ご自愛の定義
最近しきりに「ご自愛する」と言ってるが、ご自愛とは何か?が曖昧なので、少し書いてみます。
ご自愛の定義とイメージ
ご自愛は、自分の心身を心地よくするための活動全般を意味します。
具体的な活動については、その人の心地よさが基準になるため、人それぞれ微妙に異なるはずです。
心身を自分にとっての自然な状態に持っていくこと。
健康、癒し、リセット、ケアなどの言葉と近い場所にあると感じます。
ご自愛の目的
ご自愛の目的は、快適に生きる後押しをすること。自分とも周りとも調和していい気分で暮らすこと。生きることを、よくすること。
世の中には様々な基準があるけれど、「不快が好きな人」はいないはず。
目的達成のために一時的に不快を経験せざるをえない人はいるかもしれないけれど、不快自体を好む人はいないと思います。
わたしの場合、不快な中で努力しても物事が上手くいきません。快適だな、心地よいなと感じると物事が全体的に良くなっていきます。
不安感を感じやすい性格なので、とにかく土台に安心感や快適さ、心地よさを持っておかないと全部が上手くいかないのです。
なので、自分も周りも生活も仕事もいい感じに進めるために、ご自愛活動をしています。
もちろん仕事の具体的なところでは数字や逆算が必要ですが、生きることの大枠については安心感や快適さ、心地よさがもっとも大切です。大枠が快適さに包まれると、細かい数字や逆算も、あくまでも快適さの中に存在してくれます。ベースは快適さになります。多少苦手なことでも、快適さのベースの中に存在すると、平気です。
ご自愛になるもの
わたしにとってご自愛になりやすいのは、下記です。
自分の健康にとって納得感のある食事
甘いものでも不健康なものでも、食べたいと思ったなら食べる
自然にふれあう
感謝できるものがないか探す
五感が心地よい
あたたかい
季節の変化を感じる
心がときめく
日常生活が向上すること
価格以上に価値あるものに出会うこと
未来の構想を練ること
自分の進歩を数えること
心地よさや快適さと言うとよく分からないかもしれないけど、
「五感が心地よい」
「あたたかい」
「未来に期待できる」
これなら考えやすいのでは、と思います。
定期的に「感謝できるポイント」を探すのもよい。微妙な環境でも感謝するポイントは意外と見つかる。
たまたま入ったコンビニのトイレがめっちゃ綺麗とか、苦痛の少ない仕事をしただけでお金をもらえるとか、気付かなかった人から挨拶されるとか。
先日参加したヨガリトリートの先生も言ってたけど、感謝の気持ちは不快な気持ちと共存しない。なので手っ取り早く快適な気持ちになりたい時は、今感じられる感謝を探すのがおすすめです。
感謝と言っても、べつにいい人になるためではなく、不快な感情を簡単に排除する手段として「感謝ポイント探し」は便利です。
ご自愛から遠いもの
暴飲暴食
(自分や他人への)不満を放置する
身体の声を無視して無理をする
心の声を無視して無理をする
望まないスケジュール
望まない人付き合い
お金を気にして過度に倹約する
基本的に、自分の心身の声を無視して無理をすることはご自愛から遠いと思います。
社会に順応すると、どうしても外の影響を受けてしまうけど。順応しないと人様に迷惑かけそうだけど。
それでも「あ、無理してるな」と思ったり「あ、不満を持ち続けてるな」と思ったら、そこから少しずつ離れたり、交渉したり、離れる作戦を考えたりすることはできる。
何年も何年も無理をしてると、自分の心身の声が聞こえなくなってくる。そうするとピンチ。何かが壊れるまで、心身の不調に気づかなくなってしまう。
心身の声が聞こえたら、まずはその不快さを認識する。それは「存在するもの」として扱う。「なかったこと」にしようとしない。
具体的にどうしたら避けられるのか?
本質的な改善方法
と
表面的な改善方法の2つを探す。
たとえば職場の休憩室でくちゃくちゃ音を立てながらごはんを食べる人がいて不快だとしたら、本質的な改善方法は「ひとりでご飯を食べられる働き方をする」「直接注意してやめてもらう」など。
表面的な改善方法は「耳栓をする」「勉強してるんですと告げてイヤホンをする」など。
どんな小さいことでも、本質的な改善方法と表面的な改善方法が存在する。改善への時間のラグはあるかもしれないけど、どうにかできる。意外と、今すぐやれることはある。調べるとか、アポ取るとか、すぐできる。
どうにもならない場合、それはその場所から離れようの合図。交渉しても、工夫してもダメそうな場合は離れる。
ただ交渉なしに不満ばかりためるのは、自分にとって良くない。相手にとってはあなたが何に不満を持ってるか分からないから交渉は必要。交渉すれば、即解決することもある。相手が鈍感だったり忙しかったり性格が真逆だったりする場合は、なおさら交渉で解決しがち。
「察して」「なんで察してくれないの?」は、かなりハイレベルというか、自分の人間関係を苦しくする魔法。
「わたしは察して動いてるのに!」と思うかもしれないが、それは自分基準で何かを察してるだけであり、その察しが相手にとってプラスかは分からない。だから気づく方が偉いとか、気づく方が損だとか、そういうことでもない。
基本は不満があるなら交渉する。それで嫌われたらそれまでである。我慢し続けるよりはマシだ。次の快適な場所に向かって進めるから。
交渉してもだめなら離れる。それを繰り返せば必ず快適なところに出られる。
交渉せずに離れるを繰り返すと、旅人みたいになってしまう。天職がないなぁ、運命の人がいないなぁ、などと思いながら、一生「圧倒的に素晴らしいもの」を求める旅を続けることになる。
交渉も離れるもしないと、不満がドロドロするだけだ。それは幸せからも、快適さからも、心地よさからも遠ざかっていく。
交渉と、それでだめなら離れる。これが適切に使えると、だいぶ健全な環境で生きられる。
ご自愛についてまとめ
ご自愛は自分をただただ甘やかすことではない、とわたしは思う。自分や周囲の「お互いの幸せのため」の、健全な工夫だ。
ご自愛するにはある程度の鈍感さや強さも必要になるけれど、それは後天的に身に付けられる。
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数年後、コンテンツの充実したご自愛ブランドを作りたい。今すぐコンテンツを作らない理由は、実践をきわめて、こぼれたものを人に分けたいから。
商品を無理矢理つくる、みたいなことをしたくないから。
初心者向けの何らかの講座などは、駆け出しの人が提供しても成り立つと思うけど、ご自愛に関しては自分が実践をきわめてからでないと提供できないと思ってる。少なくとも27歳が提供できるものではない、と思ってる。
だからまずはご自愛を実践して、それをありのままインターネットに書いていく。ご自愛しようね。
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公式なブランドづくりはまだ先だけど、わたしの生活が誰かのご自愛のヒントになったらいいなぁと思う。
なので宿ごっこを考え中。
ここまで読んでくれた方で、ご自愛ブランドひとり静かの宿ごっこに来たい方がいたら連絡してください。
知り合いかつ女性限定ではあるけれど、おもてなしの練習をしたいな~と思い中。