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2019/12/14ただの日記
■今日のこと
今日は
・11時頃に起きて
・teracoで開催された影山さんのお話の会に参加して
・シェアハウスで7人くらいで夜ご飯を食べた 。
普段に比べたら、かなり多くの人と関わった。
■寛容な歳上の人がいるコミュニティは過ごしやすいけど
お話をしてくれた影山さんは、(私の言葉で)一言であらわすと、
「とてもセンスが良くて、賢くて、寛容な心を持つ、カフェのプレイングマネージャー」。
他人を受け入れる土壌が整いすぎているというか、受容の力がすごい。
影山さんの本を読んだ時に、「こんな人がいてくれて嬉しい」「世の中捨てたもんじゃない」みたいに思った。とてもいい気持ち。
でもそれは、影山さんを「下の立場」から見た時の気持ちに過ぎないな、と思った。
もし自分が影山さんみたいな立場になったら?と想像すると、怖くて仕方ない。
面倒くさいことを受け入れたり、本当はお金になるのにお金にこだわらなかったり、手間をかけたり、自分の中の「綺麗ごと」を見逃さなかったり。
影山さんのような人についていく分には気持ちが良くて、「私もそうなりたい」なんて思うんだろうけど、
いざ自分が上の立場やまとめる立場になった時、そんなに「いい人」を貫ける気がしない。
そんなに綺麗な心を保てない。
私は昔から、優しい世界を望んでいる。
生まれによらず、みんなが幸福を受け入れられるような環境を願っている。
でもそれは、下の立場だからこそ、気安く願えるんだと思う。
自分が優秀で、富や名声を手にした時に同じことを思えるだろうか。
自分が富や名声を手にしたら、それを守るのに必死になって、両手でガッチリ掴んで離さず、下の人たちのことは無視したり、知らん顔で搾取したりするんじゃないだろうか。
私が優しい世界を願っているのは、自分が「優しくされる立場」だから。下の立場だから。恩恵を受ける側の立場だから。
自分が色々なものを手にした時、そんな「綺麗事」みたいな気持ちはかき消されてしまうような気がする。
私は力がなく、弱く、脳みそだけで生きようとしてるズルイ人間だなと思った。
まだ若いから大丈夫、これから。それは事実。
でも、若さにかまけて、目の前のものを見ないフリしてたら、かなり孤独で気難しいおばさんになる。
未来の自分の「お金」「健康」よりも、未来の自分の「人格」が怖い。
■プロフィールが同じすぎる人に出会った
・幼稚園
・小学校
・中学校
・大学
・金谷に住む
・都留に住む
この6つが全て一致する人に出会ってしまった。
高校以外が全て同じ。(高校も同じエリアではある)
こんな人が世の中に存在するのか、とビックリした。
幼稚園〜高校は秋田県だし、
大学は千葉県だし、
そのあとはなぜか山梨県にいるし。
そんなバラバラな経歴なのに、一致する人がいるものか。
本当にビックリした。
・幼稚園3年
・小学校6年
・中学校3年
・大学4年
・金谷数年
・都留now
合計すると、20年近く「同じ景色」を見て育ったことになる。
幼馴染でもないのに。
all地元でもないのに。
その方は実家が移転(?)して、今は秋田じゃない所に実家があるらしい。
その実家の場所は、私の旦那の実家の近所。
ご縁…という感情。
■自分が大事にしたいこと
しょうもないんだけど、私は
・好きな時に、たくさん寝たい
・好きな時に、好きなものを、たくさん食べたい
・なるべく静かに過ごしたい
これらが大事らしい。
特に睡眠は大事。
ロングスリーパーなようで、10時間くらいは平気で寝る。
10時間寝る生活なんて、普通に働いてたら難しい。
好き勝手に寝られる生活を、全力で守り続けたい。
どうせ何年後、何十年後には死ぬので、たくさん寝れるんだけどね。
むしろ私の人生、「死ぬこと」や「寝ること」がメインかもしれない。
とにかく寝たいんだ、たくさん。
■無愛想なのは幼稚園の頃から
人と関わると、自分の無愛想さに萎える時がある。
楽しくても表情に出ない時が多いし、
楽しい気持ちが遅れてやってくることが多い。
だから、誰かといても「楽しいことが伝わってないだろうな」って気分になる。
なんか、元気がない雰囲気になる。
これは幼稚園の頃から。
幼稚園の頃からおとなしかった。
子供っぽくないと言われることが、とてもコンプレックスだった。
「どうやったら元気にできるんだろう」
「明るくするのが難しい」と、幼稚園の頃にはすでに思っていた。
無愛想でも平気で過ごすために、ネットで仕事してるんだろうか。
そう言いつつ、人間の醍醐味はオフラインで会って話すことだと思うし、愛想のいい人、愛嬌のある人には何をやっても敵わないとも思ってる。
自分の中の自然状態(無愛想)が、多くの人にとって不自然なら、それは「良い自然」ではないよね。
■目標を立てなくてもいいから、せめて記録しよう
最近、やけに「目標」「逆算思考」みたいなものから離れたい気分。
通常、のんびり人間ではあるが、仕事においては目的や目標をキチキチ決めてきたつもりだ。
でも最近、「もっと自然の流れで生きて、目の前のことに集中した方がいいんじゃないか」「そのほうが、本来の欲求がわいたり、やりたいことが見えたりするんじゃないか」と思っている。
目標は立てなくてもいいか、みたいな。
目標は立てなくてもいいかもしれない。
でも、せめて「記録」と「振り返り」はした方がいい気がする。
なぜか分からんけど。
目標を立てないなら、せめて記録しよう。
■まとめ
退屈ではなかったので、いい日だったのかもしれない。
欲を言えば、ラーメンが食べたかった。
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