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【生きのびる日記】個で生きている感覚

もしかするとわたしは、結婚していたり、友人がいたり、実家の家族ともそれなりに仲が良いわりには、「個で生きている感覚」が強いのかもしれない。

理想の情景を想像したときに、そこに他者は一人もいない。大自然の中にある崖にわたしが一人、腰掛けている情景が浮かんでくる。雪が降り積もる山の中で、背中からバサッと倒れて、曇天を眺めている情景が浮かんでくる。ぼた雪が顔に向かって落ちてくる。

「個で生きている感覚」は、人を頼るのが苦手、とも言い換えられる。わたしの普段の様子を見ている人からすれば、いろんな人に頼ったり、支えてもらったり、もっとわかりやすく言えば孤独ではなく、恵まれているじゃんと思われるかもしれない。

気持ちの問題だ。心にこびりついたもの、もしくは心の初期設定が、わたしを「個」でいさせる。

近い関係の人からは「楽観的だね」と言われるが、楽観的というよりは、無責任だと思う。全部がだめになったら消えてしまえばいいと思っているし、全部なかったことにして離島で住み込みバイトでもすればいいとも思っている。楽観的というよりは、いざという時の無責任さがわたしの根底を流れている。

無責任がゆえに、「個」でいないと辻褄が合わないのかもしれない。他者と絡まりすぎると、その時その時に自分が感じた「本当のこと」が、外に出しにくかったり、出すには時間の経過が必要だったり、「心配だ」という言葉で包まれたエゴをぶつけられたりして動けなくなり、自分自身に対して一瞬の嘘が発生する。

他者と絡まっていなければ、身軽に、幼く、無責任に、自分の思い描く情景の中を動き回れる。

この先どんな人と関わりながら、どんな暮らしをしていくとしても、一見すると社会性が増えたように見えても、わたしが「個」として一人で生き続けることに変わりはない。人といても、人に恵まれても、わたしはいつまでも一人で生きている。そのことを尊重されていたい。

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伊藤七 | ライター
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