誰を見ながら仕事をするか

会社を退職して、自分のサービスづくりに励んでいる29歳女です。

クライアントワーク(会社員もバイトもフリーランスも含む)と、自分のサービスづくりの大きな違いは「誰を見ながら仕事するか」だなと感じている。

誰のニーズを満たすために仕事するのか、とも言い換えられる。

クライアントワークは、基本的には第一に発注者を見ながら仕事する。発注者のニーズを満たしながら仕事する。発注者のニーズを無視しては、仕事が成り立たない。

ライターだったら、記事を発注してくれる人のニーズを満たすことが、まず最初の条件になる。

「読者の悩みを解決する記事を書く」という意味では読者の方を向いてるのでは?とも感じるけど、雇われるときにはまず発注者のニーズを満たす必要がある。

究極の話、発注者一人にめちゃくちゃ気に入られれば、読者を見なくても仕事を発注し続けられることもある。

やっぱり土台は発注者。

一方で自分のサービスづくりは、発注者がいない。いきなり読者なりユーザーを見ることになる。クライアントワークとは、見る方向がまったく違うなと感じる。

どんな人に役立つのか?自分は何を差し出せるのか?何を解決できるのか?

そういうのを、歪でも未完成でも、とにかくはじめから意識しないといけない。

わたしはどちらをやっていきたいかといえば、完全に自分のサービスづくり。

発注者を見ながら仕事したいか、お客さんを見ながら仕事したいか考えると、お客さんを見ながら仕事したい。そして心の友を増やしたい。

器用なら、発注者もお客さんも見ながらバランスを取って両立すればいいんだろうけど、わたしは器用じゃないのでバランスを取れない。だったら少し極端かもしれないけど、いいと思う方を選ぶことになる。「バランスよく〜」という言葉は、好きになれない。

極端な性格は、社会の中では使いこなしにくい。バランスが取れた性格の方が、使いこなしやすかったり、都合がいいと思われるだろう。

でも極端な性格だって、いいところもある。

まず、どっちかを選びやすい。これはいいところ。「ちょうどよくいられないから」という諦め由来かもしれないけど、選べるのはいいところだと思ってる。「バランス」や「普通」を諦めて、開き直りができると、立場が決まるから、人生は急にイージーモードになる。ポジショントークみたいなものを、自然とやってるとも言える。「選ぶ」ができるのは、いいところ。

次に、共感できる人に会ったときの嬉しい気持ちも、極端な人の方が強く感じるんじゃないだろうか。「わたしだけじゃなかった〜!」と思えた嬉しさ。「わたしだけじゃなかったんですね!」と言われた時の嬉しさ。

誰を見ながら仕事するか。誰の役に立ちたいのか。どこを見ればモチベが上がるのか。誰にだったらクレームを言われても真摯に受け取れるのか。そういうのを分かっていたい。

誰にだったらクレームを言われても真摯に受け取れるのか?って、けっこういい指標かも。

わたしの場合は、お客さんからクレームを言われたら落ち込むだろうが、改善しようと真摯に受け取れる。

想像上だけど、わたしが営業職の会社員だとしたら、toBの営業先からクレームを言われても「知らんがな」「わたしに関係ないのよ」「だってそもそも興味ないからね」という気持ちにしかなれず、ただイライラして終わると思う。

自分は誰にとってどんな風に役立てるのかを考える。キーワードを仕留める。それをしていきたい。

わたしの場合は、誰にとって〜どんな風に〜は、こんな感じ。

そこそこ頭はいいはずなのにめちゃくちゃ働きたくない人に対して、「でもそれって悔しすぎない?絶対本来の力が生かされてないよね?もう自分で仕事を作っちゃって、まさかの『楽しく働く』を実現しない??いやいやと言いながら働いたり、我慢する努力をしたり、悔しいしイラつかない???」と話しかける人でありたい。

「うちらってこんなもんじゃないよね」と言いながら、まさかの「楽しく働く」をやってやりたい。何かとの戦いである。

この先、コンテンツや発信内容は微妙に変わるだろうけど、この根っこは変わらないんじゃないかと思う。

毎日投稿446日目。

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伊藤七 | 書く人
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