なぜ冬が嫌いなのに、ふるさと秋田の冬を、好きな人に見せたくなるのか
私は冬が嫌いだ。
私はふるさとの秋田もあんまり好きではない。
それなのに
好きな男の子を、冬の秋田に連れて行きたい気持ちがある。
なぜ、好きでもないはずの景色を見せたくなるのだろう?
理由予想
①本当は冬(または冬の秋田が好き)説
②嫌いなものを共有して、気分的に二人きりになりたい説
③いかに過酷な環境で生存してきたか、知ってほしい説
④GLAYの「WINTER AGAIN」の歌詞に洗脳されてる説
⑤嫌がらせ
1個ずつ適当に考える。腹痛い。適当。
①本当は冬(または冬の秋田が好き)説
「冬なんて」「秋田なんて」と口ではいうものの、本当は好き説。寒いのは苦手だけど、雪を見るといまだにテンションが上がるので、雪が好き説は濃厚。
また、冬の食べ物や行事はあったかい感じがして好き。鍋とか、こたつとか、クリスマスとか、お正月とか。(寒いからこそ)温まろうとする感じが好きかもしれない。
②嫌いなものを共有して、気分的に二人きりになりたい説
「寒いのやだね」「やだね」って言いながら【嫌さ】を共有することで、同じ舟に乗ってる感じになるのかもしれない。障害を乗り越えて絆を深めましょう、的な。
③いかに過酷な環境で19年間生存してきたか、知ってほしい説
好きな男の子は親戚が北海道にいて、「北海道の冬はマジでやばい」と言った。だけど話を聞いてみると、冬の北海道に行ったことは無いらしい。好きな男の子は話を盛る癖があるので、知らないものを体験したかのように「マジでやばい」と言っただけだ。
ならば、秋田の冬を見せてやろうじゃないか。
私は悲劇のヒロインぶる癖があるので、「やばいでしょ、秋田!ここで19年も暮らしてたんだよ!」とアピールしたいのかもしれない。
④GLAYの「WINTER AGAIN」の歌詞に洗脳されてる説
噂の歌詞は、この部分。
「いつか二人で行きたいね 雪が積もる頃に 生まれた街のあの白さを あなたにも見せたい」
明らかにGLAY世代ではないし(なな:1994年生まれ)、特別詳しくもない。それなのに知ってる=インパクトが強い曲なのだと思う。
WINTER AGAINとHOWEVERは中学生の「恋愛というものに憧れている時期」によく聴いていた。
謎にロマンチストな面を持つ私は、「聖地巡り」とか「歌詞の通りの行動」が好きだ。だから、印象的なこの歌詞を実行したい可能性がある。
ちなみに【実行したくなる冬の歌】と言えば、BoAのメリクリが最強。「コンビニでお茶選んで 当たり前に分け合って」の部分。130円で実行できる手軽さも良い。冬になって、家に行き来する関係の男の人ができると、コンビニでお茶選びたくなる。できればセブン。スーパーで買ったほうが安いのは分かってるんだけどね。メリクリ、強し。
⑤嫌がらせ
私は意地悪なので、たまに人の嫌そうな顔が見たくなる。だから、寒いのが苦手な人を冬の秋田に連れて行くのは、単なる嫌がらせかもしれない。
まとめ
ここまで書いて思ったことは、私、けっこう冬が好きなのでは?ということ。恐ろしい気づきだ。
冬が好きというより、正確に言えば「冬は雪があるべき」だと思ってる。
千葉に住んで5年目になるけれど、千葉はほとんど雪が降らない。降っても積もらない。11月〜3月まで雪が降る秋田に19年住んでいた私は、「雪のない冬はもはや冬ではない。秋じゃん」と思っている。
「冬なら潔く雪が降れ」という気持ちは確実に持っている。
私の中の【正しい冬】を、好きな男の子に、押し付けたいのかもしれない。
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