今のときめきは今つたえなきゃだめだと泣かれた夜の話
先日姪っ子(8歳)のバレエの発表会を観に行ったのだが、事件は発表会後、家族での食事中に起きた。
私には三姉妹の姪がいる。8歳の長女、4歳の次女、2歳の三女なのだが、バレエをやっているのは長女だけだ。発表会当日、私は午前中から次女と三女の子守りを担当し、午後4時からのバレエの発表会に参加、終了後は兄家族+義理姉のお母さんと妹さんと私で食事をする流れだった。
次女と三女は「ねぇねのバレエの発表会でかか(母)は忙しい」ということは理解しており、発表会前のバタバタもなんとか乗り越え当日を迎えていた。
発表会は大変良かった。姪のバレエ発表会を見るのは今回で三度目だが、一番良かったと思う。素人にも見やすいキャッチーなプログラム、小さい子でも飽きさせない時間配分と全体構成、お姉さんたちの演技は見応えがあったし、新国立バレエ団からもゲストでプロダンサーを招待してプロのバレエを生で見れたことにもすごく感動した。プロの迫力は圧巻だった。普段は長女とケンカが多い次女も、バレエを踊る舞台上の姉を見て、「ねぇね、あそこにいるよ」と指差しながら私に教えてくれた。きらびやかで可愛らしい衣装をまといライトアップされた姉の姿を、本当に嬉しそうにキラキラとした目で見つめていた。
子守り担当としては、2歳児&4歳児が、待ち時間から合わせた長丁場を、ぐずることなく完走できたことに安堵した。子連れに観劇は敷居が高い。子どもが泣いて途中退席は、子育て中だとある程度覚悟が必要だが、それでも妹二人の分別に「立派だなあ…」と感心した。私自身は、月に一度程度、姪と遊ぶくらいだが、その度に世のお父さんお母さんは本当にすごいと思う。
発表会が終わり、家族で焼肉を食べることになった。食事処に本日の主役である長女が少し遅れて登場すると、次女がソワソワしはじめた。めずらしく「ねぇねのとなりに座る」という。焼肉店のお座敷で席を調整しながら、次女は姉の舞台にとても感動していて、リスペクトのような気持ちがあるのだろうなと感じた。好きな対象と物理的に近くにい居たい…大変当たり前だが、子どものストレートな言動を目の当たりにすると、妙に納得する。
長女は、本番が終わった興奮が冷めやらず、お友達から可愛らしいバッグをプレゼントにもらったことを嬉しそうに話しだした。バレエでは発表会時に、出演者にお花やプレゼントを渡す文化があるようで、今回の発表会でも、観に来てくれたお友達や保育園時代の先生から、お花やプレゼントが届いていた。(お花やプレゼントは入場時に受付に預ける仕組み)私も長女宛てにお花とプレゼントを用意し、メッセージカードも入れておいた。自分のカードと別に、まだ文字が書けない次女と三女の代筆をした「ねぇね だいすきだよ」という言葉と、拙い絵が描かれたカードである。
預けたプレゼントは発表会終了後に出演者へ渡される。長女が貰ったプレゼントやお花はかさばるため、まとめて自家用車に入れていた。もちろん私が渡したプレゼント(メッセージカード付き)も車内である。次女は、姉が友達からもらったプレゼントに喜んでいる様子に、自分が今朝、姉にあてて書いたメッセージカードがあることを思い出したようだった。
姉の隣からいそいそと私の席へ移動してきて、小声で話す次女↓
次女「ねぇねに書いたカードは?」
私「あれはプレゼントの袋に入れたよ。もう渡してあるよ、車の中だよ」
次女「いまあげるのっ」
私「今は無理だよ。プレゼントと一緒に入れたでしょ?車にあるって。後で車に乗った時に、ねぇねに見てもらえるから大丈夫だよ?」
次女「あとじゃないの!いま!あげたかったの!」
私は内心、べつにカードを失くしたわけじゃなし、正直ちょっと面倒くさいことになったなあ…と思っていた。何度か同じ問答をした後、次女は私の膝の上で襟首にしがみつきながら、大粒の涙をこぼして泣き出した…。
次女「ねぇね だいすきって かいたてがみ あげたかったっ」
己の膝の上で、肩に顔をうずめながら泣く4歳児…。あのときの私の感情は言葉にしがたい。面倒くささと可愛さと子ども特有の時間の感覚に「うわあ」という気持ちになった。今じゃなきゃ意味がないのだ、彼女には…。後では駄目だし、他のプレゼントに埋もれてほしくない。今、自分の気持ちを姉に渡せない、それは彼女にとって絶望なのである。
あああ……これは、頑張るしかない。
私は現状打破するべく無い知恵を絞った。かばんに入っていた書き損じたメッセージカードを見つけ、可愛らしいイラスト部分のみを切り取って次女をなだめた。↓焼肉店の隅っこで小声で相談
私「これ(切り取ったカード)に、もう一度メッセージ書こう?」
次女「や!あのカードがよかった!」
私「(誤魔化すしかねえ…)朝、書いたカードは、ねぇねの舞台を見る前に書いたものでしょ?ねぇねのバレエ見てさ、どうだった?かっこよかった?面白かった?すごかった?なんて伝えたい?」
次女「……」
私「ねぇねへ、かっこよかった、でいい?」
次女「ちがう!“かわいかった”」
私「“ねぇねへ かわいかった” それだけでいい?」
次女「“ねぇねへ かわいかった だいすきだよ”ってかいてっ」
私「うん、ほら書くよ。ね・え・ね・へ か・わ・い・かっ・た……」
正直、ごまかされてくれた次女にホッとし、即席に作ったメッセージカードは無事に次女から長女の手に渡った。普段ケンカばかりの妹から、素直な賛辞を受ける姉の「ありがとー」という、すこし照れてぶっきらぼうなお礼の言葉もまた愛おしかった。そんなこんなで、なんとか場は収まった。
大人になると「あーあ、仕方ないな」で消える感情がたくさんある。同様に誰かに伝えようとして、たち消えていった言葉たち。消えるというか、自分に無視されてなかったことになって、忘れ去られていく。タイミングや機会は、自分じゃどうしようもなかったりする。大人に限らず、子どもだってそんな瞬間あるだろうし、こうしてドタバタに書いたメッセージカードも、後生大事にとっておかれることはないだろう。消えゆくものだ。
でもなんとなく、あの時間のことを忘れたくなくて文章にしておこうと思った。メッセージカードの持つ時間差の居心地の悪さ。今この瞬間のトキメキが、30分後どうなるかなどわからない。瞬間瞬間の感覚を、味わうことができているのだろか。泡のように消え、残骸も残らなかった感情のざわめきを空想する。あの夜、私の膝で泣いた幼い子どものひたむきさが、なんとも言えない気持ちにさせるのだった。
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