わたしの本棚153夜~「旅をする木」
とにかくスケールが大きいエッセイでした。アラスカを舞台にして、自然、仕事、仲間、生き方・・・どれもスケールが大きく、哲学的な思考もあって、面白く読みました。上質の珈琲を飲んだときのような心地の良い読後感で、ページをめくるのが惜しくなる、終わってほしくない、ずーっと読んでいたい気持ちになるエッセイ集でした。
☆「旅をする木」 星野道夫著 文藝春秋 1500円+税
文藝春秋11月号の巻頭エッセイに、妻の直子氏が今年、星野道夫生誕70年になり、市川市で写真展を開催した模様を記し、追悼されています。没後なお、多くの人に愛される星野道夫氏。その写真と文章は、早すぎる死とともに、わたしにとってはあまりに壮大で刺さります。アラスカでの生活を中心とした33本のエッセイの中で(どれも読後感がじんわりとして好きです。自然の厳しさ、優しさの中、逞しい人間の生が投影されています)、特に心に残った4本についての感想です。
1、16歳のとき
「多くの選択があったはずなのに、どうして自分は今ここにいるのか」で始まる有名なエッセイです。凡人と才人の違いといえばそれまでですが、16歳のときのわたしの世界はあまりに小さかったなあ(今もですが)、と読んでいながら、否応なく、自分を回顧してしまい、星野氏の強さに感嘆しました。
16歳のわたしは世界に行こうなどと露とも思わず、小さな街での平凡な高校生活でした。星野氏は、16歳のときに、アメリカ一人旅をします。アルバイトと父親の援助で、一人、ブラジルへ向かう移民船に乗って横浜港を出ます。2か月あまり、終点のサンフランシスコまでの旅。多くの困難と助けに会い、世界の広さを知ったそうで、「その旅は、自分が育ち、今生きている世界を相対化して視る目を初めて与えてくれた」
2、旅をする木
表題作になっているエッセイです。ビル・ブルーイットのアラスカの自然を物語のように書き上げた名作「北国の動物たち」は、「旅をする木」の第一章から始まります。それは、トウヒの木の冒険のような旅物語です。
ビル・ブルーイットは、プロジェクト・チュリオットというアメリカ原子力委員会の進めていた、アラスカ北極圏の海岸で核爆発による実験的な港をつくる計画に反対した生物学者で、立ち上がったことが原因で大学の職を追われてしまいます。30年という歳月を経て、アラスカ大学はビル・ブルーイットに謝罪し、名誉博士号を与えます。
ビル・ブルーイットの捉え方も、星野氏にとっては、プロジェクト・チュリオットのヒーローではなく、極北の自然への限りない夢を与えてくれた一人のナチュラリストでした。ビル氏も星野氏もアラスカの自然が好きなんだなあ、というのが痛切にわかり、読んでいて、核爆発実験に闘うビル氏より、極北の自然を愛すビル氏が浮かんできました。
3、アーミッシュの人びと
ハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック目撃者」という映画で観たときから気になっていた人種です。ペンシルべニア州に今なお残るキリスト教の一派で、テクノロジイに対して懐疑的で現代文明とは無縁の生活をしている人たち。星野氏もやはり彼らの存在は不思議だったようで、村を訪れます。少女との出会い、アメリカという国で、人間の進歩の歴史とアーミッシュの人の生活。小さな絵物語のような農村風景、サンドイッチが食べられるお店を訪れる星野氏。一度は旅して、確かめたくなるような語りでした。
4、ワスレナグサ
アラスカの州花であるワスレナグサのこと。アラスカを旅するだけでなく、生活していくことにした星野氏。アラスカは、冬が長い北の暮らしで、短い夏の季節に咲く花がどれだけ人々の心に安らぎを与えるか、と記しています。花が好きな直子さんと探しにいったアリューシャン列島では、ワスレナグサは岩にはいつくばるように咲くそうです。
厳しい自然のなか、懸命に生きようと咲く花たち。その描写に、読んでいるこちらまで癒しと勇気をもらいました。
関西でも写真展があればいいなあ、と読みながら、思っていました。ひとつひとつのエッセイが綺羅星のごとく、生を考えせてくれました。森の匂いを感じ、オーロラを夢みて、風になびくワスレナグサ、しーんとした冷気、わたしにとってスケールの大きな深い深い本でした。
※単行本値段は1997年のもの、アーミッシュの画像はキリスト新聞、ワスレナグサの画像ガーデニングの図鑑から借りました。
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