
わたしの本棚128夜~「嫌われた監督」
凄い本でした。落合監督の言動に、筆者の鈴木氏だけでなく、読んでいる方まで少し緊張してしまうというか。野球をそんなに知らなくても、中日ドラゴンズの選手に詳しくなくとも、各章に人間ドラマがあり、組織のなかの個人の捉え方の考察につながり、面白かったです。落合監督の言葉は、人間の観方、生き方への格言でもありました。
☆嫌われた監督「落合博満は中日をどう変えたのか」鈴木忠平著 文藝春秋
2090円
この本は、新聞記者である鈴木氏が、落合選手が中日の監督だった8年間を、取材する形で、12人の人物を絡ませて、進行していきます。
「お前、ひとりか」
落合監督は群れるのを嫌い、複数の取材には応じなかったそうです。プロローグに、「落合を取材していた時間は、野球がただ野球でなかったように思う。(中略)勝敗とは別のところで、野球というゲームの中に、人間とは、組織とは、個人とは、という問いかけがあった。」と書かれているように、各章12人の人間ドラマからなっています。
1.福留孝介
阪神ファンです。だから、12人の中で、真っ先に福留選手の第3章を読みました。「落合は好きだとか嫌いだとか、そうした物差しの埒外で生きている人間だ。」福留選手とは「バッドのみで落合とつながる」関係だったとあります。
鈴木氏の書き方ですが、どの章も表題の人物を浮かびあがらせるために他の人、この章では土肥健二氏のことにもページを割いています。焦点を絞らせず、ずらした描き方です。落合監督の尊敬する人物が「土肥健二」氏だったそうで、土肥氏の神主打法を落合監督は自身の身体にすりこんでいったそうです。福留選手には「広島の前田選手をみておけ」という指示を与えます。
「一流ってのはな、シンプルなんだ」
鈴木氏が、福留選手に「落合さんのこと、どう思ってるの?」と聞く場面があります。「この世界、好きだとか嫌いを持ち込んだら、損するだけだよ」福留選手は毎日のように、落合監督と言葉を交わします。その理由は、落合監督を鏡にしているからで、そこに情はいらないのでした。あれば鏡は曇るだけだから。
「スポーツは強いものが勝つんじゃない。勝ったものが強いんだ」
2006年リーグ優勝決定戦で、人知れず涙を流していたのは、落合監督と福留選手であったそうで、その姿は、筆者からみれば、人生観を異にしたふたりが、好きだとか嫌いだとか湿った感情は見当たらず、シンプルに完逐されたプロの姿だけがあった、と思えたそうです。そんな描写文章を読んで、正直、勝負の世界、常在戦場でありながらストイックな生き方、凄いなあと感嘆でした。
2.川崎憲二郎、森野将彦、宇野勝
1章では、2004年開幕投手だった川崎憲二郎氏。当時、先発投手は川上憲伸氏、野口氏、山本氏など予想されていましたが、3年間一軍で投げてなかった川崎憲二郎氏を抜擢します。
「このチームは生まれ変わらなきゃいけなかった。ああいう選手の背中をみせる必要があったんだ」
2章では、森野将彦氏のことを書きながら、中日のスター立浪和義氏との対比を描き鮮やかです。「レギュラーをとりたいか?」と落合監督から声をかけられ、「打つことでお前はタツには勝てない。ただ守りを一からやるなら可能性はゼロじゃない。その覚悟があるなら俺がノックを打ってやる。どうだ?」そうやって、倒れるほどの特訓がはじまります。一方で、年齢とともに落ちていく37歳の立浪氏が、代打の一振りのために10時間も早くきて、人知れず走っていたこと、2005年のリーグ優勝時には、その立浪氏の代打の一振りで試合を決めた描写には、泣きそうになりました。
4章の宇野勝氏では、2007年打撃コーチだった彼に、落合監督はいいます。
「打つことは良くても三割だ。でも、守りは十割を目指せる。勝つためにはいかに点をやらないかだ」今季、リーグ最多のエラー数の阪神にも、授けてほしい言葉でした。
3.岡本真也
多分、12人の人間ドラマのなかでも白眉だと思います。岡本真也氏は、2007年の投手コーチで、日本シリーズで、ノーヒットノーランという球界大記録目前の山井投手の交代劇をまじかで立ち会った人です。山井投手が後にインタビューでマメが潰れていたことを披露しますが、中日ナインにも交代劇をよく思わない選手もいて、リリーフの岩瀬選手にかかる重圧に心痛めるひとりです。岩瀬投手は、お酒が飲めないそうで、どうやって負けたときの憂さ晴らしをするのだろうか、と精神状態の心配までします。非情と言われた山井投手の交代劇に、落合監督はこういいます。
「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員がのっている船を港に到着させなけりゃならないんだ。誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そう言えば、わかるだろ?」
4.中田宗男、井手峻
スカウト部長の中田宗男氏、球団の取締役編成担当の井手峻氏との人間ドラマも面白く読みました。前任の星野仙一氏が華のある人物であった反動で、星野批判をした落合監督は叩かれます。ドラフトでは高校生の原石をとって育てようとする星野監督と違って、即戦力を所望した落合監督。
落合監督は映画青年だったそうで、20歳に戻ったら、何をして過ごすかの問いには、映画をみて過ごすとの意外な一面も。空白の時間を映画で埋めていた過去も披露されています。
5.吉見一起、和田一浩、小林正人、トニ・ブランコ、荒木雅博
三年連続10勝をあげた吉見投手に対しては、エースの条件として「五年、だからな」といい放つ落合監督。FAで西武からきた和田一浩は、落合監督と打撃論を戦わすことができても、自分の立場を保証することにはなりませんでした。落合監督は、選手に対して、「どれだけ勝利に貢献してきたかではなく、いま目の前のゲームに必要なピースであるかどうか。」それだけを見ていました。
「相手はおまえを嫌がっている」広島の前田選手に嫌がられた、かつてクビに怯え130キロにも満たないサウスポーの小林選手。自分のことをトランプの「2」であるとイメージするようになります。「2」は、平場での序列は低いけれど、ある特定のゲームでは、エースやキングにも勝るからです。
トニ・ブランコの影で、データ収集もした通訳の桂川氏。荒木選手と井端選手をコンバートした落合監督の真意は、「お前ら目でボールを追うようになった」からで、荒木選手の足の動きだけは8年間変わらなかったから、エラーをしても遊撃手で使い続けます。どの人の人間ドラマも、日々戦場であるプロの世界の厳しさがあり、一見、冷徹ともいえる落合監督の言動があり、読んでいて、こちらまで緊張するというか、強度の高い読書空間でした。
終わりに
12人の選手を通して語られる落合監督の言動は、日本社会、組織の中では冷たい、情がない、などと批判されることもありました。2011年、リーグ優勝目前での突然の解任劇に象徴されるように、その手法をよく思わない人が多かったのも事実だそうです。なぜ、語らないのか。なぜ、俯いて歩くのか。なぜ、いつも独りなのか。そしてなぜ、嫌われるのか。その答えは、本書を読み終えた今、なぜ、優勝できたのかという問いへと昇華されていくと思いました。
#読書の秋2021 #嫌われた監督 #鈴木忠平 #文藝春秋 #落合博満