Vol.10 わたしの不動産人生 ~注文住宅プロデューサー新人編~
こんにちは。
nUe(ヌエ)株式会社(※HPがリニューアルしました!)の今井です。
Vol.8で記載したI部長代理から取り付けた異動条件(半期で2000万円)の目標数字でしたが、約束の日から約2年の歳月をかけ、なんとか2000万円を達成することができました。
2007年7月、念願のS部署に異動することになりました。
不動産取引経験をたくさん積み、いざ本格的に注文住宅の世界へ!
新人プロデューサーとして新たな船出することとなりました。
しかーっし!!
そのやる気とは裏腹に、暗雲の日々を過ごすことに。
■わたしは疫病神か!?
完全異動した初日、S部署に初出社すると、なんだか重い空気感(;゚Д゚)
この日、朝礼はなく、ボスとプロデューサー(営業)が集まっての緊急ミーティング。
重々しい空気の中、告げられた言葉が
ボス『おぉ~、いまい~。異動したきた初日に悪いんだけど、先月度が未達だったんだよね。だから今月は達成するから頼むね~( `―´)ノ』
これには私も衝撃が走り、何も言葉が出ませんでした。
なぜなら、S部署はこれまで目標が達成することが当たり前で、約3年間連続達成し続けていました。
異動してきた前の月に約3年振りの未達だったのです(;´Д`)
かなりの被害妄想ですが、まるで私が疫病神を連れてきているような気がして、いきなり一人プレッシャーを感じていました。
ここから、長きに渡り苦しみを味わうことになるとは、この時の私は想像もできませんでした(;゚Д゚)
■全く受注契約が取れない地獄の日々
不動産部署ではそれなりに経験を積んで異動したにも関わらず、
全く受注契約を取れない!!
出向時は家づくりの魅力に取り憑つかれ、夢中で楽しくやれていたのに、
この2年間で私は何が変わったのか。
周りの期待と反して私はお荷物社員になっていました。
本当に疫病神を連れてきてしまったのだろうか、、、
注文住宅を取る実力なんて何もなくて、不動産以外売れない人間なのか。
こんな感じで自問自答を繰り返す日々。
やる気満々だったのはほんの数日間だけで、後はただの地獄の日々でした。
自信も失くし、笑顔も無くなり、表情がどんどん暗くなっていきました。
当時の営業スタイルは、
プロデューサーが契約前のお客様からヒヤリングを行い、
そのヒヤリング内容を設計デザイナーに新規プラン依頼をします。
設計デザイナーはプレゼンするプラン内容を引き継ぎ、擦り合わせを経て、プレゼン資料を準備をします。
契約前であっても、間取図、スケッチ、模型、見積り作成まで行います。
それなりの準備が必要となるため、設計デザイナーはかなりの負担となります。
設計デザイナーは受注契約したクライアントとの打ち合わせと設計業務があるため、契約前のプレゼンはプロデューサーが行うスタイルでした。
受注契約の責任はプロデューサーに重く圧し掛かってきます(;´Д`)
これが本当にプレッシャーで、私がヒヤリングしたお客様は聞き取りが甘く、プレゼンしてもなかなか受注契約につながりませんでした。
設計デザイナーからは段々と私のプラン依頼は無駄な作業というレッテルが貼られてしまい、
設計デザイナー『いまいからのプラン依頼はうけたくねぇ<(`^´)>』
わたしが新規プランを依頼すると明らかに嫌な態度でしたし、面と向かって受けたくないとも言われたこともあります。
私は何が問題だっただろうか、、、
今考えれば分かることですが、わたしは不動産屋であって、プロデューサーになる意識が低かったことでした。
プロデューサーであるにも関わらず、設計デザイナーに気を使いすぎてしまい、プレゼンするプランに一切意見を言えなかったことでした。
しかも!
出されたプランをそのままクライアントにプレゼンする始末(;゚Д゚)
つまり私は設計デザイナーの代わりにプランを説明する人になってしまっておりました。
そりゃ~、受注なんか一生取れんわ( `ー´)ノ
そのうちに、私は一人で接客することに恐れを感じてしまい、アポイントが取れても先輩に同席してもらい、自分の実力で受注契約を取ることができなくなりました。
当時、成績のカウント方法は1棟の受注でも、先輩の同席があった場合、カウントは0.5棟になるため、わたしは良くてもずっと0.5棟が続きました。
当然これにはボスもかなり憤慨で、
ボス『てめぇぇぇ!!この役立たずがぁぁぁ!!0.5なんて0と一緒だボケェェェ!!俺は売れないやつのしみったれた空気が大嫌いなんじゃいボケェェェ(゚Д゚)ノ』
たぶんこんな勢いで怒られまくっていました(笑)
出向時に自由にやれていた感じとは程遠く、受注責任のプレッシャーに負け、自分の良さは全く発揮されませんでした。
何よりも楽しく仕事に取り組めていなかった
完全に逃げ腰スタイルのまま仕事をしていました。
また私の接客にも大きな問題がありました。
クライアントが聞きたいことに全く応えない接客を行っていました。
S部署の来るクライアントは、こだわりが強く、オシャレな方や、多趣味で個性的な方が多く、期待に胸膨らませて楽しい話しを聞けると思って来店していたはずです。
しかし、私の接客中の会話は全くその期待に応えません
お客様『〇〇が趣味で、××な感じの家が欲しくて、△△な内装が良くて~etc(*^▽^*)』
自分『そ、そうなんですね(スルー)。』
『それではまずはローンの話しを、、、ペラペラ(;゚Д゚)』
こんな感じで接客中は専門用語を連発し、つまらない接客になっていました。
こうして私は出口の見えない真っ暗闇に突入してしまいました。
何よりも誰の期待にも応えられないことが一番辛かった。
■気持ちが折れてしまった日
ある日、私一人で担当していたお客様の商談プレゼンをすることになりました。
契約を決めるか否かの大事な場面。
しかし、同席するはずのD先輩が遅れてしまうという一報(;゚Д゚)
私はなんと一人でこの局面を乗り越えなければならない状況でした。
対人恐怖症で、クロージング嫌いな私は最も避けたいシチュエーション。
案の定、私が接客すると空気が重くなり、契約間近のお客様はとてもナーバスに、、、
お客様『今日は家に帰ってじっくり考えて連絡します(=゚ω゚)ノ』
これは明らかに体の言いお断り文句。オロオロ(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)オロオロ
終わりかけた商談の最後に先輩が接客に間に合い、
私は『先輩、遅いっすよ~( ;∀;)』と安堵感。
D先輩が接客に入ると大爆笑の連続で、今まで重かった空気は一変。
趣味の話しやら、雑誌の話しなど話題は尽きず、お客様は笑顔満載。
そうしたら、それがプランの話しになり、家の中での過ごし方や楽しみ方など、一見関係が無い話しだったことが、バッチリとプレゼンになっているΣ(・□・;)
お客様『いや~。今日はありがとうございました。S部署さんで契約決めます(^O^)/』
なんで?どうして?
さっきまで帰る気満々だったじゃないですか( ;∀;)
突然の出来事で頭が真っ白になっていた私ですが、D先輩が商談成立したお客様に対して突然変なことを言い出しました。
『〇〇さん。今井くんってどうでしたか?こいつ全然契約取れなくて、是非〇〇さんからも率直な意見を言ってあげてくださいよ( ̄▽ ̄)』
こんなことを商談成立の間近のお客様に聞くなんて前代未聞。
でもD先輩は内部事情をさらっと聞けてしまう信頼関係を一瞬で築いたという証でもあった。
お客様も戸惑いながらも、言われたことが、
『今井さんは真面目なんですけど、真面目なだけでちょっと話がつまらなかったですかね。』
あまりのショックに他の話しは耳に入ってきませんでした。
『真面目でつまらない人間』だということだけ記憶に残り、
まるで『必要ない人』と言われたようでした。
私の自信とプライドは音を立てるようにポキッと折れた
その後、商談も終わり、
D先輩とはそのまま反省会は続きました。
私はD先輩に向かって敗北宣言のような感じで、
自分『楽しい話しなんてできないっすよ。趣味もないし、個性も無いし、注文住宅のことだって専門的なことは分からないし、プレゼンだってあんな想像力豊かに話せないですよ。』
私は今にも泣き崩れそうな顔をみせたくなかったため、頭を抱えて下を向きながら喋りました。
そこでD先輩が声をかけてくれた言葉は
『今井は今、曇り空の中にいるんだよ。けど、不思議とその雲は何かのきっかけでパーっと開ける時があるんだよね。』
と言われました。
真っ暗闇の中にいる私はその言葉は受け入れられず、
私はこの時、退職することを心の中で半分決めていました。
私は設計デザイナーからも嫌われ、所詮はただの不動産屋。
クライアントのヒヤリングもできず、プレゼンもできない。
私が注文住宅をプロデュースすることなんて無理だし、不可能だ。
不器用で、対人恐怖症。
決められたことしか話せない。
不動産部には戻ることなんて出来る訳もないから、もう会社を辞めよう。
28歳の頃、とにかく考えることは逃げることばかり(;'∀')
当時を思い出しながら書いていると改めて、自分はめちゃくちゃ暗いなぁって思いますww
今考えれば、明らかな実力不足だった訳ですが、あるクライアントとの出逢いがきっかけで一筋の光が差し込みました。
つづく
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