Vol.14 わたしの不動産人生 ~新米エリアリーダー編~
こんにちは。
nUe(ヌエ)株式会社の今井です。
Vol.13では突如エリアリーダーに任命され、一度は断ったものの、やはり引き受けることになりました。
営業として駆け出し状態の私がエリアリーダーの責を担えるかどうか。
同じチーム内には後にnUeで一緒に会社を起業する小林一朗と同じチームとなり、私の運命の歯車は大きく変化していくのでした。
■ビジョンが無い
私が所属していた埼玉中央エリアのデザイナー陣は中途採用の方ばかりでした。
特にチーム内のデザイナー陣は建築を尋常ではない努力で学んでいる人ばかりでした。
同じチームには小林一朗もおり、彼は新卒入社ではありましたが、有名な建築家のクラスで大学院まで進んでおり、積んできた経験は他を圧倒する知識力とプレゼン力を有しており、いつも長時間に渡り、議論を交わしている光景が日常的にありました。
建築をがっつり本気でやってきた人同士の会話は、分からない言語ばかりでしたが、少しづつ彼らが何を考え、何を求めているのかを真剣に耳を傾けることで、徐々に理解を深めていきました。
どの人にも言えることが、大なり小なり建築に使命感を持っていました。
しかし、彼らはそこに重きを置いておらず、私の考えは短絡的だといつも叱責を受けておりました。
叱責を受けるたびに、その培った知識を教えてもらい、そのことについて学ぶということを繰り返すことで、私自身とても刺激的な毎日でした。
その議論の中心はいつも
でした
無目的に意匠的にかっこいいお家を建てるなんて、馬鹿げている感じの印象でした。
それくらいの勢いでいつも議論を交わして、
社会に対して何の価値を提供できているのかがとても重要でした。
なので、
いつもこんな感じに叱責されてました( ;∀;)
ここに来るまでに、自分のビジョンとか、社会の価値なんて、深く考えたことなんて全くありませんでした (;∀;)
彼らからしてみたら、私はただ上からの指示で会社の数字を管理している人にすぎませんでした。
困っていると、いつも手を差し伸べて助けてくれたのが小林一朗でした。
小林一朗は一見すると話しかけにくいオーラを身にまとい、話す言葉はオブラートに包まず、ストレートに物事を話すので、彼を知らない人は勝手にビビッてしまう印象ような人物です。(本人はそのつもりは無いらしい。)
歳は私の1つ上ですが、社歴は私の方が先輩で、律儀に上下関係は守り、いつも敬語で接する律儀な人間で、とにかく話しをするのが大好きなで、話しやすい人なのです。
ちなみに未だにnUeになっても私には敬語を使ってます(笑)
彼が他のデザイナーと違うのはS部署で1年半だけではありますが、プロデュースとしての営業経験もあり、私の苦悩も理解はしてくれるただ唯一の存在でした。
小林は仕事が終わって、私が悶々としているのを見かけると、決まっていつも声をかけ、
そこで私は彼が学んできた建築や設計者が何を考えているのかなど、色々と聞く機会が多くなりました。
そんな彼の影響もあり、私はだんだんとビジョンを持つようになっていきました。
■デザイン≠カッコいい
小林との対話のお陰もあり、徐々に他のデザイナーとの会話もできるようになっていきました。
そこで私が大きな勘違いをしていることに気づいたのです。
それは「デザイン」という言語の取り扱いでした。
一般的には「デザイン」という言葉は「カッコいい」として使われているのですが、本来の意味は全く違うということでした。
知らなかった私は、いつもデザイナーと話す際に、
褒めたのに、相手はあまり喜んではくれず、いつも困惑しておりました。
そもそもに建築の何が分かるのかと、突き放されてしまうのです( ;∀;)
なっ、なんとっ!
頭をどつかれた衝撃位の勘違いでした。
設計者によってはデザインという言葉は世の中にあまりにも勘違いして使用されているので、嫌悪感を露骨に示す人もいます。
彼らは社会に対して、何の問題意識を持ってデザイン(問題解決)して、社会に何の価値を提供しているのか真剣に考えているため、私がアホ面して設計者の作品をデザイン(カッコいい)が良いと言っても、何も理解していないバカで、デザイナーは虫唾が走るほどの嫌悪感があるということを痛いほど理解できました。
わたしはとんでもない勘違いをしていた(; ・`д・´)
この言葉を聞いてからは、設計者が何を学んで、なぜそれを問題と思い、どうすればそれを解決しようとしているのかということに興味が沸くようになりました。
そこからはデザイナーとの対話がとても楽しくなっていくのですが、それと同時に彼らの凄みをいつも近くで感じることになったのです。
各デザイナーは自身の考えや、問題意識も違うため、彼らは一見すると、気が合う者同士のように見えるのですが、相手の成果に対してかなり厳しい意見を飛ばしあっており、
特にただ売り上げのために設計しているデザイナーにはかなりの拒否感を示しており、あまりの辛口評価に、正直言うと私はデザイナー職でなくて良かったと思うほどです(*_*;
エリアリーダーという立場は厄介で、その怒りが私のところにたくさん降りかかってきます。
この頃の私はとにかくデザイナー陣との対話が多く、営業活動や数字管理をやっていると、睡眠時間があまり確保できておらず、いつも事務所で寝落ちしてました(ノД`)
■不動産という武器で信頼関係を構築
私は必死に耐えるしかない日々ではありましたが、彼らの対話を重ねることで、成長を感じることができたのは何とも言いようもない高揚感がありました。
彼らが共通していたことは、
彼らは口揃えて言ったのは、S部署が良い家を手掛けているとは思っておらず、それが魅力で入社した訳ではないとのことでした。
設計事務所に居たとしても、給料は激安で、自分が設計したとしても、事務所の先生の名前で出されてしまうため、S部署であれば給料もまともに入り、自分の名前で設計ができるということでS部署に転職を決めたという感じでした。
最初からS部署に対してのプライオリティがある訳では無かったですが、建築を真剣にやっているメンバーがいたので、結果的には彼らも火が付いたのではないかと思いました。
私は徐々にはではありましたが、根気強く対話を続けていくうちに、私は不動産のプロとしてできることがあるのではないかと感じるようになっていきました。
私は彼らが考える、社会的価値にはとても興味があるものの、私は設計者ではないため、現実的には設計して建築することはできません。
小林もそうでしたが、建築の人間は不動産の言語を全く理解ができず、違う世界の人と思っているようで、不動産の話しを意気揚々と話していると、あれだけ知識満載の彼らでも、
となってしまっていました(笑)
私の唯一の武器は不動産関連に詳しいことだけだったので、彼らは私の不動産に対しての信頼感は持ってくれたようで、プライベートで不動産に何か困ったことがあったら今井に相談という信頼関係が構築していきました(*´▽`*)
気が付くとS部署内では不動産絡み(住宅、ローン、生命保険、ファイナンシャルプランetc)で何かあると私に相談がたくさん来るようになり、デザイナー陣の不動産関連の手伝いを沢山するようになりました。
そんな関係性が築くことができ、
いつしかデザイナー職専門の不動産相談みたいな(;'∀')
■目指すべきビジョンとは
対話を続きていく内に、設計者からはこんな意見を聞くように
そうだったのか。目から鱗だった。
海外では建築家のポジションが高い国が多く、建物を創るにも建築家の意見が絶対で、一見関係ない施設運営の仕組みにおいても建築家に全て相談し、建築家の判断が優先されるようです。
なので、有名な建築家は海外案件の方が自由にやれることも多く、日本で仕事をしても建築家の意見なんてものはあまり反映されないため、日本では建築を諦めてしまうそうです。
そうか。そうなのか。
多少なりとも私に対して可能性を感じてもらっていることに喜びを感じました。
このチームメンバーとの出会いで、私にできることがあるかもしれないと自信を持つようになりました。
ただ、この時点ではこの業界の問題点はあまり分かっておらず、しかも世のために何を成すべきなのかなんて、ぼんやりしていました。
しかも、現実的にはS部署は注文住宅をつくっている会社であるわけで、一体どうすれば良いのか全く分からない( ;∀;)
そんな中、小林と定期的なファミレス座談会をしていたとき、
当時S部署のパンフレットをリニューアルした際に、小林がパンフレット用に書き下した住居論でした。
これまでの日本の住宅背景、住居の歴史の成り立ち、戦後の国家プロジェクトとしての住宅戦略などの内容が分かりやすくかかれた文章でした。
この事をきっかけに私が目指すビジョンが鮮明になっていきました。
続きは次回で持ち越しで(笑)
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