子夏曰く、賢を賢として色に易えよ。父母に事えて能く其の力をつくし、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに言ては信あらば、未だ学ばずと曰うとも雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。
(現代語訳)
子夏は言った。「異性との付き合いを好むのは人間として当たり前の姿ではあるが、それと同じように賢人をよく慕い一生懸命な気持ちになって父母に仕え、主君に仕えては一身を捧げ、友人と交わる時は言ったことを誠実に守るようにしたいものだ。そういう人であれば、たとえ学歴はなかろうが、これこそ本当に学んだ人であると私は言いたい」。
(学びや気づき)
異性、友人、主君、家族、付き合い方は異なるかもしれないが、根本には信頼関係が絶対に必要である。信頼関係を築いてゆく上で、賢人をよく慕い、一生懸命な気持ちになって父母に仕え、主君に仕えては一身を捧げ、友人と交わる時には言ったことを誠実に守るようにする。という具体的な方法論を唱えていると解釈しました。
孔子は学ぶことについて「世間が気づかなくても気にしないようにしたい。私は向上する自分を何よりも喜べるような君子を目指したい」と言っている。つまり、学びの本質とは反省や改善を繰り返す自己成長である。
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