曾子曰く、吾は日に三たび我が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。
(現代語訳)
曾子は言った。「私は一日に何度も次の三つの事を反省する。人と話していい加減なことを言わなかったか。友人と接していて信義にかけることをしなかったか。学んでいて、まだよく身につけていないのに人に教えていないか。こうした反省によって私は日々成長していきたい」。
(学びや気づき)
1日の出来事を省みて、改める必要のあるものは、改めてゆく。これが改善である。
始めから失敗のない人間はいないけど、改めることができるのが人間である。
大事なのは改めようとする心意気である。
忠恕の気持ちが無いのであれば、人間として進歩はないだろうと思う。
何気なく楽しく生活することはできるだろうが、本当の楽しみを得ることは難しいだろう。
曾子の言う反省の一つ目の「人と話していて良い加減なことを言わなかったか」というのは、信頼関係について説いているのだと思う。確実性ない話をすることにより、相手は不信感を覚える。確実なことを言わない人間だと認識され、それは信頼に足らない人間だという評価をされることになる。大事なのは、分からないことは分からないと言うことにあると思う。孔子は「知る」ということは、知っていることを知っているとし、知らないことを知らないということであると説明している。曾子の言う反省の三つ目「学んでいて、まだよく身につけていないのに人に教えていないか」というのも本質としては同様なのだろう。
反省二つ目「友人と接していて信義にかけることをしなかったか」というのは、思想に関することだと思うが、忠恕心を持ち、友人と接してさえいれば、反省時に深く思い悩むことは無くなるだろう。
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