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『エリザベート』観劇初感想🥛
@帝国劇場
観劇日:2022/10/10(立石ルドルフ初日)
初めての感想というのは未来の自分のためにも面白いので記念としてなんとか残して置きたいという強い気持ちでいま書き起こしています。
さて、わたしはTwitterでキーワード検索するのが趣味なのですが(立石ルドとか立石ルドルフとか)そうして沢山の人の解釈やご意見を摂取する前にやらなくてはならないことがある。つまり初めて観て自分がどう感じたのか。壁打ちの文字起こしになりますが気が向いた優しい人は良ければお付き合いくださいませ。
《Attention》
・有名楽曲は某音楽番組で数回聞いた程度
・大体時系列で進めますがばらつきがあります
・語尾統一はあまりしていません赴くままに書いています
・描写説明とか考察が比較的に多い書き方をしています
劇場とは身をもって体験する世界(OP)
まず、帝劇会場についてメインホールに足を踏み入れた瞬間に感じたのは、もの凄い世界観。印象的なのは客席を侵食するかのように広げられた黒い大きな翼、舞台に広がるセットはまるで芸術作品でここがもう死の世界なんだって思い知らされる。観客はもう黄泉の国に足を踏み入れた感覚というか。そんな感じ。
ルキーニの登場部分、誰かに尋問されているけど、あれは一体誰なのだろう。(教えてください。)
もう記憶がないけどオープニング。冒頭からルドルフがでると想定しておらず、「えっ!いるじゃん!!!」ということで双眼鏡で覗く。相変わらず顔が良くてびっくり。亡霊なので灰色のもしゃもしゃ(教えてもらったけどとろろ昆布)を頭から被っていても爆裂格好良かった。
立石ルドルフはどんどん動くので(記憶が定かではないが)突然、左側ですぱーんと歌いだした時は歌った!!!って驚いた。最高。ママって言ってた。なんやかんやで、古川トートが天上から現れてなんか凄かった。語彙。
シシィについては歌はもちろん素晴らしいし、衣装フェチなのでじっくりと見させていただきました。最高―!!衣装展覧会を開催してくれ。
そしてルドルフを探せ!ですが、今回はミルクの出番だけなんとか見つけました…。いかんせん動きまくるので、全然わからん。顔がいいからルドルフすぐ見つけたって誰か言ってたけどわたしは見つけるのにとても苦労した…。修行が足りない。帽子深めに被って身も屈めているようでなんかよかったです。次回はもう一場面でもルドルフ見つけられるように祈るばかり(´・ω・`)
さて、トート閣下とシシィ様についても語りたいところなのですが、全くもって記憶喪失が激しいので忘れないうちにルドルフのことを書いていく。
子ルドが可愛い話
まず、子ルドルフ。可愛い。なんて可愛いんだと思った。久しぶりに声変わり前の少年の歌声を聴いてとても感激したので()人々がウィーン少年合唱団に魅了される理由が分かった気がします。あんな可愛い子に「ママに会いたい!会わせて!」っておねだりされたら会わせてあげるに決まっているでしょうが!!鬼畜おばあちゃんめ!!
子ルドルフがトートに渡したピカピカに光った重厚感のあるその銃。それを見た瞬間に脳内に駆け巡るルドルフの拳銃自殺。これ、こんな子供の頃から伏線してるのだなってワオ!と思った。それとトートが子ルドルフを見つけた瞬間の「みぃつけた(目を大きく開いてにんまり笑う)表情がやばかった。恐怖。
トートが「友達だからいつでも呼べば会いに来るよ」っていうのも死は人のすぐ側に存在しているという理が改めて纏わりついてくる感じ。子ルドルフもう一回出番あったけど申し訳ない記憶がない…。次回のわたしの考察に期待…。とても可愛い子ルド。
立石ルドルフの話
改めて立石俊樹くんは苦悩に満ちた表現が心に刺さる役者さんだなぁと思った。顔の表情と身体全体を使って、例え横顔だけでも、後ろ姿だけでも悲しみと苦悩が伝わってくるそんなイメージ。(それ以外も最高ですよ)眉の動き?口角の使い方とか。目の使い方は勿論のこと。
わたしが今日、感じた立石ルドルフはとある方も言っていましたが「子供のまま大人になってしまったルドルフ」という印象。それは子ルドルフが舞台の台座(高めのステージ)に腰かけているところに寄り添うように居るトートと立石ルドルフのそれが完全一致したように感じたから。とても28歳には思えん幼さと迷子感。最高だよ。
それが、トートに再会して焚きつけられて自滅に進んでいく。闇広では1番(というのが正しいか謎)は声量的にも古川トートに圧倒されているように思えて、それは一人で立てない、未熟さを表しており、2番ではしっかりと自分の足で立って古川トートに負けないパワーで表現していた(ような気がする)。緊張による声量不足というご意見を聞いてあ。それかもと思ったけどご都合主義なのでまぁこの解釈でよしとする。
この場面をきっかけに、トートに誘導されて革命軍(?)と落ち合って、その後に群舞する場面があったけれど、数名をバックに中央で踊る立石ルドルフは余りにも最高だった。もっとやって欲しい。そしてルドルフとして担ぎ上げられているのを見るのも感慨深くて、その王冠、被らせてあげて….となる。
まったく記憶がないけど、お父さんのことはパパって言ってないような気がする。「父さん」って言ってた気がするんだけど気のせいかも。(父上??)対して、母親のことは「ママ」と呼ぶ。
一国の皇太子がある程度の成人年齢になっても「ママ」と呼ぶには幼すぎる。正式には「母上」とかそれが見合う衣装と年齢だと思う。このあたりはそりゃそうって感想だと思いますけど一応感じたことなので記載しておく。
ルドルフ(子ルドルフも含めて)が台詞や歌で「ママ」と呼ぶのは余りにも悲しい幼少期があるから。だから今日の立石ルドルフが「子供のまま大人になってしまったルドルフ像」だとしたなら、わたしは凄く納得する解釈でいる。勿論、芝居を重ねるごとに彼の解釈は変化していくので今後どうなっていくのか。今から凄く楽しみ。
僕はママの鏡だからについて。ほぼ記憶がないので視覚的感想になるけど。シシィとルドルフが舞台上でリアルに見えるのと、合わせて僅かに揺れ動く鏡の中でも2人が見える演出がとても最高だった。これは死と隣り合わせの世界で生きているという表現でもあるかな。此方側と其方側。鏡に写る彼らはもう死に囚われている的な。
因みに2幕が始まるときに改めて会場に入ったら正面の大道具というか壁(?)の鏡部分に写る待機している観客が反射して大量の亡者みたいに見えてわたくし怯えたのですが、冒頭でも言ったように観客も既に死に囚われているんだなあと実感した。生きてるんだからそりゃ死ぬからね。物語後半はメインキャストたち大体鏡に映ってる気がしたけど気のせいかもしれない。
時系列がばらつきますが、正直シシィは子育てしてないじゃんって思う。旅ばっかりしてやっと会えた息子の助けてって願いを手を振り払って最低すぎる…とルドルフモンペは思うのですが、まぁこれは美化した考察ですが、シシィがトートから逃れるために旅ばかり魂の放浪をしていたのであれば、シシィにつきまとうトートを"ルドルフから引き離す爲にしていた"のであれば。例えばシシィがあまりルドルフに愛情を持たずに接していれば、ルドルフには手を出されないってシシィは思ってたのかもしれないなぁ。と。
夫に最後通告をして、子供を取り返し、その後ゾフィも死んでいるのに、どうしてシシィが愛情もって子育てしなかったのか。単純に育児放棄なんだろうけど(知らんが)この物語上はそう言った意図があったら面白いな。と思う。それはシシィがルドルフを想う愛があったからこそなんだと思いたい。思わせてくれ。
ルドルフがトートに死にたいのか?と問われてふらふらっとキスとかしちゃうけど全然記憶がぶっ飛んでいるので次回は記憶に留めたいと思ってるけど最期の拳銃をこめかみに当てて死に、トートダンサー(?)にいつもの担ぎ方されてて全わたしが泣きました。どうしていつもあの担ぎ方なの!?!めっちゃ顔が綺麗だから許すけど毎度死ぬ役なの気が狂う(大好き)いつかルドルフ死なない世界線が来るといいな。ないです。
総括らしい話
全体を通して、この物語は全て"歪な愛"で構築されているように思った。舞台にそびえる3つの大きなステージはすべて平衡ではなく左下がり(だった気がする)登場人物すべてが立っている場所、その物語はもう既に傾いている国の話なんだって視覚的に表現されているように思う。それは舞台左右に広がる黄泉の国の美術ビジュアルもそうで、わたしの見た感じ。全部、斜めっている気がする。つまり、もうぐちゃぐちゃの世界観。死後の世界でルキーニが紡ぐ物語なのだからそりゃそうか。
最期、シシィに死の口付けをした古川トートが目を見開いて呆然として迷子みたいな表情で物語は終わる。えっ死んじゃったよシシィみたいな。どうせならもっと嬉しそうな顔せいや。死後の世界でいちゃいちゃハッピーエンドを思っていたオタクはそう思った。
ここで誤解を恐れず言うと正直わたしは「えっこれで終わりなの??!?!」と唖然とした。個人的趣向でいうとなんとなく不完全燃焼な感覚。けれど、この感覚がこの物語の正解なのかもしれないと同時に思った。
シシィに振り回された人たちの話?ルキーニが創り出した物語?だってこれはきっと一冊の本に閉じ込められたお話なんだと思うから。2幕が始まる前に降ろされていた大きな壁(言い方)紋様はEの文字に王冠が飾られたもの。なんとなく本の表紙のようで、右側の縁飾り(本を捲る部分)が微妙に霞んでいるデザインのような気がした。そしてこれは確かシシィが最後死んだ後に磔にされる墓石と同じ。
シシィの墓石、つまり墓の中で起きているかもしれない空想の物語。どれが真実で嘘かわからない。獨協大学のとある教授(女性名前失念)がコメントされていた様に、わからないから観客は何度もこの作品を観たいと思うのだと。その度に解釈が深まるんだとまず初回観劇して思った。
次回、このエリザベートの物語が観られるのは11月。次はどんなルドルフが観られるのか。どんなお話が感じられるのか。楽しみなので明日からの日々も無事に幕が開き、無事にそうした日々が続きます様に。
そして立石俊樹くんが帝劇でルドルフとして生きているのをみることが出来て生きてて良かったー!!
書き切れていないことばかりだけど一旦これで終わり。もしここまで読んで下さった方がいたらありがとうございました🙏
あとゾフィーが死ぬときお迎えきたのが片羽の堕天使みたいだったのよかったな。あれはなんの象徴なんだろうか。バックのハプスブルク家紋章がやけに印象的だったけと。あの鷲がトートなのかな。
ほんとに終わり。