[番外編]ミモザの日〜国際女性デーに思う無意識の偏見〜
さたんです。
3月8日は国際女性デーと言うそうです。
昔アメリカで女性の参政権を求めてデモを行った日にちなんで
いるみたいです。
元からさたんはドライフラワーが大好きで、
学生時代、無いお金を絞って
壁一面にドライフラワーを結んでいました。
中でもミモザは家に何束も飾っているくらいで、
何となくだけど大好きなお花でありましたが、
この国際女性デーがミモザの日と言われているのを
知り、なお一層好きなお花になりました。
3月8日は身の回りの大切な女性に、ミモザを送るそうです。
ひとまずミモザの話は置いておきます。
ここでひとつ、さたんから質問させてください。
マイノリティの社会的地位について、
”感覚的な話”としてどうお考えでしょうか?
と言うのも、浅学ではございますが法制度やSDGsによる
取り組みを踏まえた既存常識の改善によって、
女性や性的マイノリティの社会的地位は限りなく公平に
なっている・なっていくとさたんは感じています。
ですが、さたんの懸念は、
Unconscious-bias[無意識の偏見]
そのひとつです。
それは女性と言う生物上の分類だけではなく、
どちらの性別にも属さず生きていく人や、
身体の不自由と闘い共生して生きる方など全てに、
Unconscious-bias[無意識の偏見]がどこにもないか
全員が一度胸に手を当てて考えて見て欲しいと思っています。
例えばさたんで置き換えれば、
職業柄、性別が組織の中でマイノリティになる立場です。
女性技術者の積極的活用や、
厚待遇・そもそもの女性採用強化、職場環境改善など、
業界を挙げてConscious[意識]として改善し行く風土が大手企業から
どんどん浸透しつつあります。
改善を受ける立場としてもとても嬉しく思います。
しかし、Unconscious[無意識]の視点で見てみるとどう見えるでしょうか?
女性技術者の積極的活用は、業界や企業が社会的努力の顕示をするための
「ツールとして”女性技術者”が用いられる」、
非常に”都合のいい存在”とも考えられます。
また、厚待遇や採用強化などの施策についても近く
マイノリティ側の一人称視点から見ると
「社内において真に公平な評価が貰えない」ことや、
それによって時代フェーズに企業が煽られた結果、
「社内ポジションにおいて迷子」
「ズルして採用された女枠?」など
社内から浴びせられる無意識の偏見に戸惑うことも考えられます。
(慈悲的差別に類します)
ここでさたんが投げかけたい問いかけは一つです。
「その施策は、真に課題を解決するために機能するでしょうか?」
男女・年齢・職業・障害の有無問わず、全員一度考えてみて欲しいです。
今回でいう女性に対してだけではなく、身の周りのマイノリティに対して
彼ら・彼女らが真に必要としている機能は社会にあるのだろうか?
本当に自分はUnconscious-bias[無意識の偏見]を持って普段周囲の人に
接していないだろうか?
今回ここで取り上げた例は、さたんの場合の一人称視点から見た
Unconscious-bias[無意識の偏見]ですが、
・LGBTQ+であることや
・若いことそれ自体
・女性
・子供
それぞれの一人称視点から見て感じる
[無意識の偏見]が存在していると思います。
Unconscious-bias[無意識の偏見]が、
知らぬ間に人を傷つけることのない社会でありたいと
さたんは思います。
(下にUnconscious-biasとは何か、体系的にまとめたサイトを貼っておきます。ページ下部に無意識の偏見度を測れるテストリンクもあります)
過去のnote.
強い女性でありたいと思う話。