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祖父と家族の話

今年の初めに祖父が亡くなった。
朝日が窓から差し込んで少し眩しい病室だった。

前日の夜から病院泊をしていた私は、夜通し祖父の様子を見ていた。明け方はここ数日で最も呼吸が落ち着いた時間だった。

7時50分頃に祖母が到着して、祖父に声をかける。
「もうよく頑張ったよ。かっこいい姿も十分見せられたよ」と胸をさすりながら伝えたら、そこからはあっという間だった。

祖母の手に顔を包まれながら、静かに息を引き取った。
頬に触れる手はとても優しくて、ずっと見ていたい光景だった。

なんて幸せな最期なんだろう。
本人だけは、まだまだこれからだと思っていたけれど、こんなにも幸せな見送りはない。羨ましいよ。きっと今頃は天国で「自慢の家族だ」って言い回ってると思う。
急いで駆けつけた家族はみんな、祖父の顔を見て涙を流し、そして笑顔になった。

自慢の家族、自慢の孫は祖父の口癖だった。


「これからだからな」
入院の前日、パートナーを連れて祖父母の家を訪ねた際、帰り際に祖父から繰り返し3回言われた言葉だった。
私たちのこれからに対してかけてくれた言葉だと思うけれど、私には祖父が自分自身に向けて吐いた言葉のように聞こえた。
実際に祖父は、入院中も看護師さんと一緒に歩くリハビリに励んでいたそうだ。きっと、命が止まるその時まで生きることを諦めていなかったんだと思う。


タオルで拭く身体は筋肉質でがっちりとしていた。自慢の身体だった。毎日一万歩以上を歩いてジムに通い、亡くなる2ヶ月前までゴルフをしていた。かっこよかったよ。本人は理想の体型のために、もう少し体脂肪を落としたいんだと言っていたのだけれど。とても、かっこよかった。



告別式を終えて、棺にお花や思い出の品をみんなで添えていく。周りの人たちが祖母に、「もういいの?」と聞くと、祖父の顔を見るというのを3回くらい繰り返して、部屋には優しい笑い声が響く。
祖母が祖父にかけた最後の言葉は「忘れないでね」だった。祖父と祖母の関係性を知る人からすると、祖父が忘れるはずなんてなくて、「忘れないでね」はむしろ祖父から祖母へ伝える方がしっくりくる言葉なのに。
この時も私は、祖父を羨ましいなって思った。


今年のお盆も祖父母の家で過ごした。
初盆は亡くなった人は帰ってこないそうだけれど、火を起こした近くに近寄ったバッタを見て、「バッタになって戻ってきた」とか「生まれ変わりがバッタは嫌だ」とか、ケラケラと笑って行事を済ませた。
それから、なんだか文章が書きたくなった。

母は今も祖父の話になると涙が出るそうだ。
また泣かせてしまって悪いなぁと思っているけれど、"書いて残しておきたいことは、書けるうちに残しておきたい"という気持ちが強くなっていくのだから仕方ないよね。

60年以上日記を書き続けた祖父の血が私にも流れている。


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