グサッときた
一昨日くらいの糸井重里さんの言葉にとても共感した。というかグサっときた。
グサっとくる人は他にもいるよきっと。
これは戒めとしてのメモです(笑)
予報も、予想も、予測も、予言だってそうなのだけれど、「その先(未来)」が変わって行くというのなら、「予言者自身がお払い箱になる」ことが、未来を語ることばのなかに含まれているはずだと思う。たいていの予想や予言は、「社会はこう変わる」ので「じぶんはうまく行く」という内容なのが残念である。「流行」というものは、そういうものなのだけれどね。そういうものに関わっていた時間を、どう使うようにするかのほうに、ぼくの興味はあるなぁ。
今日のダーリン1/30 糸井重里
人って将来失敗したくないから、損をしたくないから、これからの社会がどうなるかってのにすごく興味がある。
だからそれを語る人たちもたくさんいる。
自分なんてまさしくそうだ。
読書が好き。これからの社会がどうなるか的な話は良く読む。
で、自分はうまくいくように生きようと。いい情報を手に入れた。しめしめと。
まずはこの自分を痛烈に批判してみる(笑)
読書するとは自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。
ひっきりなしに次々と本を読み、後から考えずにいると、せっかく読んだものもしっかりと根を下ろさず、ほとんどが失われてしまう。
これは本当に危険。
人の意見を一方的に聞くのはとても楽で、
これに快感を覚えてしまうと自分で考えて話すみたいなことが面倒になってくる。授業でもセミナーでも一方的に聞くことを好み、ディスカッションなど自分の意見を話すことを嫌ってしまう。
で、人から聞いたものを塗り固めた自分というのは一見色々知ってて、勉強してるねって思われがちだけど、まあすぐにバレる。1番気づいてないのは本人。
「これからはこうなるから、こうした方がいいよ〜」は外れてたことが後から考えたらわかるよね。
やばい。めちゃくちゃダサいし、人としてつまらなすぎる(笑)
ここから脱したい。今すぐに。
気づいてしまったら恥ずかしい。
では読書の価値とは何か。
「変わらないものを知ること。」
このために読書をする。
そして、
「自分の考えを深める。」
これを意識せずにただ読んでたら、
どんどんダサくなって、つまらなくなってしまう(笑)
もちろん娯楽としての読書とか、他の意味付けの場合は全然良くてあくまでここでいう読書の場合の話。
最後に言いたかったこととして、
2年前に書いてたメモを残しておく。
ニーズに応えるんじゃなくて、これは本当に必要なことだという思いを持って進んでいることに面白さを感じる。
流行というニーズに合わせることは本当に大切。世の中これで成り立ってるのは十分にわかってる。
でも本人がこれは大事だと思って突き進んでるのって面白いと思う。
結果的にそれが人の為になったら最高。
あくまで個人的な考えだけど、
こうなるだろうから、こうしようってのにあまり面白さを感じない。
先に外を意識しているというか、自分を合わせにいってるみたいな。ビジネスでは合わせるのが上手い人が成功するのかもしれないけど。
イノベーションって、
ある人が突き進んだ先に、
周りが見つけて面白さに気づいてそれが社会に浸透していった時の方が爆発力ある気がする。
まず自分。
糸井重里さんの言葉
たいていの予想や予言は、「社会はこう変わる」ので「じぶんはうまく行く」という内容なのが残念である。
を自分なりに解釈して見た結果、このメモを思い出した。
最初に社会がくるのか、自分がくるのか。これって結構重要な問いじゃないかな。