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伊藤ふみやはカリスマたちの夢を見るか?〜女性向け2次元ジャンルの構造を覆す、或いはそれに従順に生きる伊藤ふみやというやばいキャラクターについて〜【カリスマ考察】
※この記事は『カリスマ』ボイスドラマ 1stシーズン最終回までのネタバレが含まれているため、一通り完走した人向けの記事となっています。
また、ハライチ岩井勇気さん、『星のカービィ』のメタナイトに付けられた甘党設定に対するネガティブな発言があります。
皆さんは、2次元ジャンルにお金をかけていますか? ご存知の通り、2次元に限らずお金をかけてくれる人がいないと、コンテンツは続きません。 グッズや円盤、イベントなど、お金のかけ方は様々あります。
そして、最近流行りのコンテンツ形態として、『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』『Paradox Live』『Clock over ORQUESTA』等、特定のキャラクター(ひいては特定キャラクターの所属チーム)を何らかの戦いに勝たせるためにグッズ等に付いている投票券(投票権)を使ってポイントを入れるという仕組みを使い、ファンにキャラクターひいてはジャンルへの貢献を促す、いわば総選挙制をとっているものがあります。
これは中々にファンの『お金をかけたい(かけなければ)』『貢ぎたい』という心理を突く戦略ですよね。そんなん昔からアイドルがやってるだろという話はさておき……
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チョコレートプラネットがABEMAでこのコンテンツの特番のMCをやった時、いろいろあって軽く炎上した
それを観測したであろうハライチ岩井が、彼らの揚げ足を取ってツイートをしたこと、2年経っても許してません(チョコプラに罪はないので)
ヒプマイ好きなんだけどなぁ。
— 岩井勇気 ハライチ (@iwaiyu_ki) August 16, 2020
↑当時のハライチ岩井のツイート
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発表当初はヒプマイに似ていると騒がれたりした
avexがやってるだけあって曲が良さすぎる
ISSAとか倖田來未とかが一緒に歌ってた
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奥井雅美が主題歌を歌っている(良い)
キャラクターによって大人姿と子供姿の二人の声優が付いているのですが、大人姿CV.堀内賢雄、子供姿はCV.朴璐美というめちゃくちゃ個人的に好きそうなキャラクターが投票で負けてて悲しくなりました
さて、前置きが長くなりましたが本題です。
『カリスマ』の話をします。
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『カリスマ』といえば先述した『ヒプノシスマイク』のチームが手掛ける「超人的シェアハウスストーリー」です。
これだけだと説明不足なので、『カリスマ』がどのようなジャンルかを公式がまとめて下さった画像を引用させていただきます。
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クッソ分かりやすいですね!
そもそもこの記事は『カリスマ』ボイスドラマを完走した人向けなので、これ以上の説明は省略します。
私は前々から『めちゃめちゃカリスマ』『カリスマ一週間』などのPVを観て何だこのトンチキなジャンル!気が狂う!とはなっていたのですが、1stシーズンが完結しアルバムが出るタイミングでオモコロが特集を組み、それをブーストに周りがめちゃめちゃ勧めてきたということもあって、『カリスマ』のボイスドラマを1日で完走し、そしてその結果……
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伊藤ふみやに狂いました。
何故伊藤ふみやは私を狂わせたのでしょうか。ビジュアルが良いから?確かに太眉触角付きオールバックのダウナー系な男子は好きです。でもそこじゃありません。性格やその他属性?そういうわけでもありません。
その原因は、全てこの回に要約されています
#73『伊藤ふみや』
そもそもタイトルが個人名なだけでもだいぶヤバいのですが(他のカリスマたちは、カリスマブレイク回でも名前がタイトルになることはなかった)ほんとにヤバいのはその内容です。
伊藤ふみやがカリスマたちをカリスマハウスに集めた理由は「特にない」
彼がこじつけのような理由を取りあえず言おうとすると、普段正邪を説く時に使うような流れるような理屈が全く言えなくなる
更に「意味や理由、それはこれからみんなで見つけていけばいいと思うんだな」という発言をする
今までの伏線?やその匂わせ的なものを全部投げ出しての、この発言、この態度、ヤバいです。
そして、問題はその後です
この家は誰のなんの家なのか、ずっと住んでいても大丈夫なのかというカリスマたちの詰問に対し、伊藤ふみやは、どこからか持ってきた金を机にぶちまけ、こう言います。
「実は、我が家の生活には支援者がいてね、そういうシステムになってるんだよ。」
「ここでの生活は続けていきたい。でもそれには先立つものがいる。(中略)金だ。」
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わかりますか?
ただのメタフィクションギャグではないんですよ。
伊藤ふみやはカリスマハウスの運営、ひいては『カリスマ』というジャンルが、「こちら側」の金銭的支援によって成立していることを完全に認識しています。
これ公式設定です。
伊藤ふみやのヤバさの前にそもそもこの『カリスマ』というジャンルの構造がエグいです。我々ファンがグッズにライブ、イベント、CD、その他諸々にかけたお金がしっかりと彼らに届いているというのはこのような全員曲のサビでカリスマたちの顔だけ取りあえず付けておいたローポリゴンの3Dモデルをヌルヌルと動かすような吹っ切れたジャンルでないと付けられない設定でしょう。そしてその構造を認知していたのは、伊藤ふみやだけでした。
正月回でこちら側に語りかけてきたのはまだギャグとして受け取れる範疇だったのですが、『伊藤ふみや』での発言や振る舞いを見ると、一概にこれはギャグであると捉えられなくなります。いや捉えられなくなるんですってば。
ここで、伊藤ふみやの『伊藤ふみや』における発言態度をもう一度見てみましょう。
伊藤ふみやがカリスマたちをカリスマハウスに集めた理由は「特にない」 ……?
彼がこじつけのような理由を取りあえず言おうとすると、普段正邪を説く時に使うような流れるような理屈が全く言えなくなる …………??
更に「意味や理由、それはこれからみんなで見つけていけばいいと思うんだな」という発言をする ……………………?????
これ、カリスマハウスでの生活は『カリスマ』という「こちら側=支援者」にとっての「物語」でしかないということを伊藤ふみやが認識して上で言ってるとしたら、相当ヤバくないですか?
要は、「支援者」が見ているもの、つまり『カリスマ』という物語こそが自分たちの全てでしかなく、設定を後付けしようがキャラクターに過去があろうがなかろうがそれは変わらないということを伊藤ふみやは認知しているはずなんですよ。
そしてここで、あらぬ考えがよぎります。
或いは、この物語は全部伊藤ふみやの見てる夢で、それも彼が分かってたらどうしよう…………
はい、話が多重構造(ややこし)くなってきました。
これ以上は理屈が言えなくなる伊藤ふみやみたいになるので、踏み込めません。おつカリスマでした。ありがとうございました。
しかし、こんなところで伊藤ふみや(と私)の凱旋は終わりません。
先述の事実(と半ばこじつけのような考察)を踏まえて伊藤ふみやのカリスマブレイク曲や全員曲の伊藤ふみやソロの歌詞を見ると、伊藤ふみやが『カリスマ』というジャンルをどのように認識し、生きているかということが暗に示されていると捉えることが出来るようになります。いや出来るようになるんですってば。
※歌詞の考察に関してはあくまでも憶測の範疇ということで留めておいてください。伊藤ふみやも「意味なんかこれからいくらでも後付けできる」と思っているはずです。というかそれを踏まえた考察です。
めちゃめちゃカリスマ
善人?悪人?確認は不可能
ただでさえ変人なカリスマたちだが、物語を見ていかなければその人間性はわからない 逆に物語で描写されない部分は分からない
頭の数だけ生まれるストーリー
「支援者」の受け取り方の数だけ物語の解釈が生まれる 或いは 伊藤ふみやの頭の中でストーリーを構築していることの暗示?(完全にこじつけですが、そう捉えられる含ませ方をしてくるだけでも十分ずるくないですか?)
ここじゃなきゃこいつらどこにも家無い
「支援者」が居なくなると、カリスマハウスでの生活ができなくなり、カリスマたちは去っていく。カリスマハウスでの物語は終わり、そして物語上の登場人物である彼らは実質的な死を迎える。カリスマハウスが無ければ、カリスマは生きていけないということの暗示?
おつカリスマ!忘年会
意識の中 無関係に只 流れるまま続く物語
自分たちの生活があくまで物語上の出来事であるという意識は伊藤ふみやにはある
しかし伊藤ふみやはその物語を完全にはコントロール出来ないでいる(脚本やこのコンテンツを制作するスタッフのほうが上位存在なのはそう あるいは、物語が伊藤ふみやの夢だとして、その夢はコントロールができないものである)
忘れようとしても決して消えぬ記憶
生きようが死のうが延々続く記録
これ、『カリスマ』が「支援者」にとっての物語なら、十分に支援されてコンテンツが無事に終わっても(或いは意図しない形で終わってしまったとしても)確実に「支援者」の記憶の中にこのコンテンツが残っていくことを暗示してますよね
すべては俺たちの一部
そして俺たちは世界の一部
物語でしかない、描写された部分しか真実にはならないと分かった上でこの世界はまだ広いよという含みを持たせられている気がする
居場所探しの旅 みんなお疲れちゃん
お疲れちゃん!何だかよくわからないけどまとまった〜!
居場所探しの旅とか言っときながら居場所はカリスマハウスしかないんですけどね
※『カリスマ一週間』は特に考察できそうな要素がなかったため割愛
ところで『カリスマ一週間』では伊藤ふみやがスイーツを食べることに胸を躍らせていますが、伊藤ふみやの甘党属性って、「とりま自分で付けてみました」みたいなところがあるような気がします。俺は甘いものが好きだと淡々と言う姿はまるで自己暗示のようです。或いは「支援者」の好みみたいなものを理解しているのでそれに乗じてやろうという気概があるのかもしれません。
『星のカービィ』のメタナイトがキャラ人気の上昇にあやかって公式から突然に甘党属性を付けられたことに憤怒している身としては、逆に自分から属性付けちゃうくらいの潔さを持っているとしたら伊藤ふみやのこともっと大好きになります まあ描かれていることのみが真実なので真相は全く分からないんですけどね!
When The Charisma Go Marching In
望まぬ不幸は迷惑
皆が皆互いにneighbors, neighbors
カリスマの考察の中に「こいつら病気なんじゃねえの」「ここ病院なんじゃねえの」みたいなのが散見されますが、そんなの迷惑でしかねえ だって描かれていることのみが真実なので……と言っているようにも聞こえる
チラつかしまた肩透かし食らい水増し嘆くミスマッチ
不穏さを匂わされた癖に特にその描写に理由はなく、肩透かしを食らい嘆いているオタクの皆さん
妙な期待は毒
捨てろ 所詮人は孤独
そう広大な海も山もちっぽけな自分に気づくだけ
キャラクターの行く末に妙な期待をした「支援者」が潰れてしまうと元も子もないですよね
というのと、あくまでも自分は世界にとって「ちっぽけ」な存在であるという認識は変わっていないということが示されていると思います 自らが物語上の存在であると了解した上で……
無限大の感性
戸惑い、疑い、無駄じゃない
力にして来い
伊藤ふみやは正邪の判断ができず、いつも懐疑的である……ということを肯定する歌詞です 多分
一方で命令口調であることもあり、別にお前が戸惑いつつも懐疑的になってやってる考察は無駄じゃないよ、とさっきとは真逆のことを言ってるようにも聞こえます。暗めでキャラクターを不幸な立場と捉えて考察されすぎると嫌なだけかもしれません。
余談ですがこの曲のMVには先述した『全部伊藤ふみやの夢説』をだいぶ補強するような絵面があります。それが
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ポッドの中で培養される伊藤ふみやです。
培養されて、この世界をシミュレーションする機械に繋がれていると言われても何ら違和感はありません。描かれていることのみが真実なので真相は全く分からないんですけど
一通り考えてみても全て伊藤ふみやに「あーそうなんだ今知ったわ……」と一蹴されそうな危うさがある考察でした。まあ頭の数だけ生まれるストーリーなんで許してください。
さて、ここから『カリスマ』と伊藤ふみやの物語から、更に外側の話をします。冒頭にした話を覚えていますでしょうか。ハライチ岩井の2年前の行動がマジで許せないという話ではありません。その前です。
最近流行りのコンテンツ形態として、『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』『Paradox Live』『Clock over ORQUESTA』等、特定のキャラクター(ひいては特定キャラクターの所属チーム)を何らかの戦いに勝たせるためにグッズ等に付いている投票券(投票権)を使ってポイントを入れるという仕組みを使い、ファンにキャラクターひいてはジャンルへの貢献を促す、いわば総選挙制をとっているものがあります。これは中々にファンの『お金をかけたい(かけなければ)』『貢ぎたい』という心理を突く戦略ですよね。
『カリスマ』って、ここで述べられた3ジャンルと似たような、キャラクターを推すことを割と前提にしているジャンルではあるのですが、この総選挙制を採択してないんですよね。
別にカリスマ同士がラップバトルしたり願いを叶えるためにバトルロワイヤルする訳では無いので、総選挙制というシステムをそもそも利用できないというのが本当のところですが、これ別に応用しようとしたら幾らでも出来そうなんですよね。
例えばファンがグッズを購入し、そのグッズにカリスマチャージのための投票ポイントみたいなものを付けて、キャラクターに投票することでカリスマチャージさせる、みたいな形態とか。そうやって貢いでカリスマブレイクして推しの晴れ姿とソロが見れたら嬉しいですよね
でも新進気鋭のジャンルにそれは無理がありますよね。『ヒプマイ』のチームが関わっていても『おそ松さん』の脚本家を呼んでも難しいと思います。
それを逆手に取ったのが『カリスマ』であり、伊藤ふみやという青年の存在です。
もういっそ「貢いでくれ、そういうシステムだから」と言わせることで、あくまで虚構の存在である自分たちにお金を使わせていることに対して開き直り、なんなら「ちゃんと届いてるよ」と言うことでそれを還元しているまであります。
一見これは既存の2次元女性向けジャンルの規範から逸脱した態度であると思います。しかし、金が無いと死ぬのはどのジャンルもそうです。山田一郎だってお金ないと死んじゃう。
ある意味、伊藤ふみやはそのような搾取構造(最悪最低の言葉遣いですがあえて使います)に従順であるというわけです。
まとめ
伊藤ふみやという青年について考えることは、女性向けジャンルとその物語の持つ構造そのものを考えることである
受け取り手の数だけストーリーがある
すべての描写に意味があるかどうかはともかく、描かれたことが真実である
伊藤ふみやはこっちを見ている
最後に、伊藤ふみや並びに『カリスマ』におけるこの手のメタフィクション構造に関する考察があまりにも見当たらなかったので勢いで書きましたが、皆さんのこの手の考察がガチで見たいので、少しでも考えるきっかけになってもらえたら嬉しいなと思います。批評でも何でも見に行きます。見せてください!
それでは、最後までご拝読、ありがとうございました。おつカリスマ!
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