改めまして自己紹介~歌い人sky_flatの歴史
歌い人sky_flatです。
ご覧いただきありがとうございます。
先日、「私はこれからも歌い続ける!」という思いとともにnote再開宣言の記事を投稿しました。
https://note.com/10or1epnet/n/ndca8f7c1e468
とは言え今まで大して記事を投稿した訳でもありませんし、自分のことを何もお伝えしてこなかったなあ、、、と思ったので、
今回は改めて、音楽を軸として自分という人間のことをまとめてみます。
一言でまとめるとsky_flatは、
音楽と演劇と歴史を愛するアラサー男子です。
普段は教育業界でサラリーマンをしています。
この記事では、音楽のルーツ、挫折、音楽を通じた人との出会いなどを赤裸々に綴っていきます。
少しでも興味を持っていただければうれしいです。
1.幼少期:歌との出会い
私が歌に出会ったのは9歳のとき。
母に「何でもいいから習い事を始めてみたら?」と言われたのがきっかけです。
地域の広報誌で見つけた地元の少年少女合唱団に見学に行きました。
なぜ他のことではなく合唱なのかは、今でも分かりません。
あの時直感的に気になって、気がついたら20年以上歌い続けています。
合唱団の先生はとにかく楽しそうに歌う方で、私たちにものびのびと楽しく歌うことを教えて下さいました。
「こうしたらもっと声が出るよ。」
「周りの声をよく聴いて。いいね、今の方がよくまとまってた。」
先生には、叱られた記憶がまったくありません。
歌うことは楽しいんだ
ハモるって気持ちいいんだ
という感覚が、私の中で揺るぎないものとなりました。
それは今でも変わらず、歌い続けていられるのは間違いなくこの先生のおかげです。
女子20人の中に男子1人ぼっちの環境でも、変声期がやってきてだんだん声が出なくなっても、歌が好きだという思いは変わりませんでした。
もともと引っ込み思案で自信のない私でも、歌っている間だけは自分を解放することができました。
歌は、私が自然体でいるための最善の方法でした。
2.中学生:歌への思いと挫折
中学生になると、少年少女合唱団に通いながら吹奏楽部に所属しました。
合唱部がないなら同じ音楽系の部活に、という安直な発想によるものです。
ここでは、多くの楽器によるアンサンブルの楽しさをしっかり学びました。
今までは2部合唱のハモリしか知らなかった少年が、金管楽器・木管楽器・打楽器と様々な種類の楽器による重厚なハーモニーを知った時の感動は、非常に大きなものでした。
主旋律とそのハモリ以外にも、同じ音をずっと伸ばしているパート、主旋律とはまったく違うメロディを吹いているパート、ほとんどが休符で、時々一音だけ鳴らすパート、、、
それぞれで聴くと何をしているのか分かりませんが、集まって一緒に演奏すると壮大な音楽になる、という発見は、後々役に立つことになりました。
楽しく部活に励んでいた3年生のある日、顧問の先生と進路の話をする機会がありました。
音楽のことをもっと勉強したい私は、
「音楽科のある高校に行きたい」と言います。
とにかくずっと音楽に触れていたかった、
音楽だけやって生きていきたかった、
というのが本音です。
先生の答えは、
「ピアノができないから無理だ。」
そうなんです。
音楽を専門とする課程に入学するには、必ずピアノの試験があるのです。ピアノ専攻でなくても。
先生曰く
「今までまったくピアノを習ったことがないお前が、あと半年程度練習しても、幼稚園生の練習曲くらいしか弾けないだろう(先生は初めての挑戦が苦手な私をよく知っているので、この指摘は的確そのものです)。
歌は歌えてもピアノで確実に引っかかるから合格は難しい。やめとけ。」
これが大きな挫折となりました。
厳しいことはわかっているつもりでも、実際に突きつけられると非常にショックを受けたことを覚えています。
とは言っても、反骨精神で必死にピアノを練習するかというとそんな気概はありませんでした。
しかし音楽への思いは消えず、後々引きずり続けることになります。
音楽が好きで合唱部がないという環境には変わりがなかったので、高校でも吹奏楽部に所属しました。
素敵な仲間に出会い、人間関係には非常に恵まれましたが、正直不完全燃焼に終わり、大学受験を機に2年生の終わりで退部。
少しだけ音楽から離れる生活になりました。
そして、大学で転機が訪れることになります。
3.合唱再入門
大学入学後は、半年ほど音楽から離れていました。
自立するためにまずバイトをしよう!
と決意したものの約3ヶ月間面接に落ち続け、メンタルもフィジカルもボロボロになって実家に帰るという時期を過ごします。
※これについては別記事で書いてみようと思います。
10月、後期の授業が始まったタイミングで、再び合唱をしてみようと思い、大学の合唱団に入団します。
久しぶりに歌う楽しさ、アットホームな雰囲気、初めての混声4部合唱、演奏会に向かうエネルギー、すべてが刺激的ですぐにのめり込みました。
12月の定期演奏会までは平均週6日程度で合唱団に通い、文字通り合唱三昧の日々でした。
そしてその後、私は学生指揮者に選ばれます。
入団2ヶ月の超人見知りで引っ込み思案な人間が、20人を相手に(しかもほとんどが先輩!)練習を仕切るなんて無茶だと思いますよね。
私もそう思いました。が、
指揮の振り方、練習計画の立て方、喋り方、歌唱技術などなど、
ヘタクソな私に厳しく優しく1から教えて下さった先輩後輩のおかげで、たくさん成長することができました。
指揮者を務めた2年間の経験は、本当に私の宝です。
指揮者として最後の演奏会に向かう頃は、
「ずっと合唱だけして生きていきたい!」
が口癖でした。
後輩からは「そうもいかないですよ」と突っ込まれていましたが、私は本気でした。
しかし具体的な方法は何もわかっていませんでした。
ただ歌いたい思いだけが先行した結果、卒論にも就活にもまったく身が入らず、研究のダメだしと「お祈りメール」を浴びては後輩と歌って発散するという、ダメ人間の鑑となります。
その後は何とか卒論を提出し、大学院に進学することになりました。
4.ミュージカル初挑戦
大学院進学後も後輩の指導と称して合唱団の活動に入り浸り、ダメ人間まっしぐらな日々を送っていたところ、新たな転機が訪れます。
「ミュージカルの公演で、アンサンブルキャストを募集しています。」
というメールが、合唱団宛に届いたのです。
そのことを団長から聴いた私は、二つ返事で参加の意思表示。
一生に一度でいいからミュージカルというものをやってみたい
と思っていたので、このチャンスを逃したら次はないと感じました。
練習に参加して代表者の指揮を見た瞬間、
この人、仲間だ
と思いました。
以来ミュージカルにのめり込み、稽古に明け暮れながら夜中に修士論文を書く日々が始まりました。
本番までは3ヶ月という短い期間でしたが、当日のカーテンコール(演目の最後に出演者全員で行うお客様へのご挨拶)で見た景色と感覚を、私は一生忘れません。
5.最後に
ここまで読んでいただきありがとうございます。
気づけば3000字近く書いてしまいました。
こんな経験を経て、その後も教育のお仕事をしながら舞台に立ち、歌のレベルアップを目指して声楽のレッスンを受けたり大学時代の仲間と集まって合唱したりと、充実した日々を過ごしています。
こんな私が繰り広げるNo music No lifeな日々を、これからも発信していければと思っています。
今回書ききれなかった、音楽以外のことも、今後記事にしていきます。
気に入っていただけたら、今後もチェックしてもらえるとうれしいです。
最後までご覧いただきありがとうございました!
歌い人sky_flatでした!