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snafu_2020
全ては絶対的であり、相対的である。
私は大学で価値相対主義と絶対主義を学んだ。
価値相対主義は、価値は他のものとの比較で決まるからゆらぐものである、という考え方である。
例えば私は165センチであるが、日本人女性のなかでは背が高いといえるが、オランダ人女性の中では低いだろう。
一方で絶対主義はゆるがない価値があるものがあるという考え方だ。
例えば、誰がなんと言おうと命は尊いとか。
この話を聞いた当時の私は自分は相対主義者だなと思った。
だっていくら命が尊くても死刑されてもいい人間もいるわけだし。
でも、昨日の夜、なぜかふと思いついた。ちょうど午前1時くらい。
この瞬間、私は紛れもなく絶対に165センチだ。165センチは絶対だ。そして周りと比べれば高くも低くもなる。また、年をとって162センチになるかもしれない。けれどまぎれもなくこの瞬間は165センチだ。
この瞬間、存在するものは絶対だ。けれどそれらは相対的に価値も変わるといえる。
だから世界は絶対的でもあるし相対的でもある。
この瞬間、命が存在するのは絶対だ。だけれども失うべきと思われたり、生かすべきとも思われる。人間の中において。
と、思ったのだが、少し自信もなくなってきた。
そこでみなさんにお願いです。もし、よければコメントで、どう思うか教えてください。
さらに考えて、やっぱり世界は相対主義だ、に戻るか、いやいや自分の夜中の考えは間違っていない、となるかはたまたいや絶対主義だとなるか自分の変化を楽しみたいです。
待ってます。めんどくさくなければ。