作曲を始めたキッカケ
作曲を始めたキッカケは人それぞれ。
小さい頃からピアノなどの楽器を習っていた方や、学生時代に有名バンドに憧れて始めた方など様々ですよね。
ただ、私の場合は同世代(1980年前後生まれ)の他の方々からすると少々マニアックな始まりでした(^^;;
私の父親は、高校時代にグループサウンズのコピーバンドでベース担当だったらしいのですが、驚くことに今で言うDTMを1985年頃にやっていたんです(!)
ソフト名は”MUSEUM 2“というもので、『ミュージアム2』『FM77』『クロスメディアソフト』の3ワードで検索してようやく紹介記事が出てきました。リンクは貼りませんが、シンセ好きな方にとってご興味持たれそうな画像が出ていますよ(^^)
確かFM音源3音とPSG音源3音、計6和音を同時発声出来たと記憶しています。
このソフトで、父親が雑誌『明星』か何かの付録だったヒット曲楽譜を見ながらせっせと打ち込んで私に曲を聴かせてくれたんですね。
確か安全地帯さんの『悲しみにサヨナラ』だったかな。イントロが流れた瞬間、
「スゲー!ラジカセから流れるヤツと一緒だ!ボクもやってみたい!パソコンカッコいい!」
って、なったのを今でも鮮明に覚えています。
かと言って、私は当時幼稚園児。操作方法はちんぷんかんぷん、楽譜も読めません。
ただ、分からないなりに小学生だった兄の音楽の教科書を借りて、父親に内緒でカチカチやってるうちに、いつのまにか楽譜の読み方を覚え、自分の打ち込んだ操作で2和音(メインのメロディとベース音)の曲が出力された瞬間、異なる音が合わさって心地よい響きで奏でられたことに、ただただ鳥肌が立ちました。
そんな経験からか、その後の幼少期の私は完全インドア派(^_^;) ファミコンとパソコンばかりやって過ごしていましたが、まだ作曲までは出来ませんでした。
作曲ができるようになったのは、小学5年生くらいの時に買ったファミコンソフト『絵描衛門(デザエモン)』がキッカケでした。
このソフトは、自分でシューティングゲームを作れるという優れモノで、キャラ、背景、敵キャラの配置や動きからBGMまで自分で作れるものでした。
このソフトを友達と貸し借りして、互いに各ステージを作り合うという、よく言えばクリエーティブな、悪く言えばネクラな遊びをやっているうちに、
「お前の曲、なまらカッコいいな!(北海道弁)」
って言われるようになり、変に自信過剰になって作曲だけ担当することに。これが作曲を継続的に始めることとなったキッカケでした。
そんな彼とは中学も同じバスケ部に入り(キャラ変が激し過ぎる…)、お互い別バンドでしたがバンド活動を始めて…
あれから24年、細々とですが私は地元北海道から遠く離れた地で今もなお音楽を続けております(^^)
音楽とパソコンが趣味だった父親、小学生時代のゲーマー仲間、そして私の移り住んだそれぞれの土地とネット上で知り合えた音楽仲間の皆さんのおかげです。
本当に感謝しております!