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私が出会った「グローバル人材」の話。

とある昼下がり。
何気なくインスタグラムのストーリーズを見ていると、某通販サイトの商品詳細ページであろう書籍の画像とともに、
「高級すぎ笑笑」
という文字が流れてきた。
画面を押さえて静止画にし、まじまじと見つめる。

『ハンガリー語辞典・40,000円』

(高っっ⁉そしてなぜ⁉)
値段設定の衝撃とともに、その言語を学ぼうと考えた投稿主の動機にくぎ付けになる。すかさず驚き顔の絵文字でリアクションを送った。

しばらくして。
「高いよねぇ笑」と友人からの返信。
「いや高級すぎてびっくりした……」改めて伝える。
「それな!辞書なのにこんなに高いと買う気が……」
(そうか、やっぱりハンガリー語って日本ではマイナーなんだなぁ……)
希少なものほど値段が上がるというのは理解できる。でも。
「学びたい気持ちがあるのに値段で縛られちゃうのはなんだか悲しいね……」率直な感想を述べた。
すると。

「まぁ、英語で辞書買えばそんな高くないから大丈夫!!日本語じゃなくても勉強はできるし笑

(――!?!?)
私に衝撃が走った。日本語じゃなくても勉強はできる……!?

友人は、「日・ハンガリー辞典」の価格を確認したのち、「英・ハンガリー辞典」の購入へと舵を切ったのだった。
しかも、「笑」とつけていることから、これは友人にとって何気ない行動で、感覚としては「こっちの道、やっぱり工事中だったのか。じゃああっちから行こっと。」くらいの代替案であったものと推測される。おそらく、仮に「英・ハンガリー辞典」が高級であったとしても、同じ行動を取っていたのだろう。

(かっこよすぎる……!)
私にその発想はなかった(……というよりできなかったと言った方が正確か)と思うとともに、晴れ晴れと理解した。

(あぁ、この人みたいな人をグローバル人材って言うんだろうなぁ)

いつかどこかで聞いた定義によると、グローバル人材とは「どんな環境にあっても同じように力を発揮できる人」だという。
当時はピンと来なかったが、今ならわかる。
友人は、英語と日本語という別の世界のなかで、同じように勉強ができるグローバル人材だ。

……結局、どうしてハンガリー語を学ぼうと考えるに至ったかは聞けずじまいだが、友人のことだから何か志を持ってのことだったのだろうと考えている。それこそ、「日・ハンガリー辞典」の値段のように高い志を。
友人のような「グローバル人材」になれたら、どんなに素敵だろう。友人そのものにはなれないけれど、だとしたら。
私自身はどんな「グローバル人材」になれるだろう。
複数の世界を自由に行き来している自分の姿を想像するとワクワクする。
ワクワクを保ったまま、過ごしていきたい。

そして、いつか叶うときがあるなら、尋ねようと思う。なんでハンガリー語だったの?と。友人はあのストーリーズを覚えているだろうか。

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