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鉄道オタクをやめようと思う(Twitterから離れた話)1

本題は2から始まります。これは意思表明です。

鉄道オタクとして過ごして6年、擬人化にハマってから5年。
先日ふと、こう思った。

鉄オタやめたい。

しかし鉄道への愛は減るどころか増えるばかり。
その後数日間考え込み、Twitterにある意見の偏りを知覚し、寝る間も惜しんで思案に励んだ結果、1つの結論に至った。

SNSで鉄道の話を控えるのが先

というわけで、「鉄道オタク=交通オタク」≒「Twitter(あるいは匿名掲示板)上にいる旅行趣味クラスタ」から距離を置こうと思っている。
ただし、鉄道自体はひっそり一人で愛でていくつもりだ。

理由

少なくとも3つ、書き出そうと思えばもっと多くある。
詳細は「2」以降に書くことにするが、とりあえず箇条書きにして認めておく。
まとめきるのに数日かかりそうであるため、おそらく「2」は来週以降になると思う。

  1. 鉄道趣味が「偏執故の激烈な知的好奇心」ではなく、「SNSで数値化される”いいね!”が齎す激烈な承認欲求」の娯楽に成り下がったこと

  2. 自分の好んでいる車両/路線/駅/会社以外のものが消滅可能性を帯びたとき、為政者目線で(=利用者目線の介在無しに)切り捨てる人があまりにも多いこと

  3. 鉄道……ひいては交通そのものやそこに住まう人々の暮らしを観察する趣味者から漂う、「心の膜を張ったまま地域に踏み入れる」という暴力的とも言える態度

特に始めの2点がどうしても耐えがたかった。
故にこの趣味自体での交流を諦めざるを得なくなった。

Note外に、同じように鉄道趣味から距離を置いて……いや、鉄オタをやめてしまった人を多く見かけた。
それは今までのように「飽きた」「終わコンだから」という理由ではなく、愛が高じすぎて辞めざるを得なくなった悲しすぎる実例ばかりだった。
数年後の自分を見ているようで、恐怖を覚えた。

あまりにも苦しいことと、Twitterに書くと推敲を忘れ短絡的な思考の羅列になってしまうことからNoteを再利用した。
つづきは「2」で。


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