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短篇小説 ハートマークをパンダに替えて(サンプル)

【あらすじ】
香織はパートナーの優子と、香織の娘で幼稚園児の真奈と3人で暮らしていて、優子は妊娠中。同じマンションに住む広田夫妻には、真奈の仲良しの友達のあいという娘がいる。  
 真奈の父親は、精子バンクの精子提供者で、香織は同じ父親の子供を妊娠中のモリカワとメールの交換をしているが、2カ月ほど前からモリカワとは音信不通になっていて…。  

【本文試し読み】
 パンダに襲われる夢を見た。 
 大きな体にのしかかられて、間抜けだと思っていた顔はよく見ると獰猛(どうもう)で、叫ぼうと思っても気管からひゅうひゅうと嫌な息が出るばかりだ。 
 なぜ、パンダはわたしを襲(おそ)うのか。パンダに恨まれるようなことも、あるいは好かれるようなこともした覚えはない。そもそもパンダに特別な感情を持ったことなどない。そういう無関心な態度が、気に障(さわ)ったのだろうか。 
 いちご香料の匂いがするパンダの毛が首筋に当たってくすぐったい。パンダのくせに子供用シャンプーを使っているのかと思ったら、途端に怖くなくなったので、どうにか体を動かしてパンダを突き飛ばした。
「香織(かおり)? 大丈夫? うなされてたけど」 
 優子(ゆうこ)がわたしの頬にひんやりとした手をあてる。優子とわたしのクイーンサイズのベッド。いつの間にか真奈(まな)が子供部屋からやってきて、わたしのおなかの上で眠っていたのだった。
「あ、わたし、真奈を突き飛ばしたりしてなかった?」
「ううん、寝返りを打ったら、真奈がおなかから滑り落ちただけ」 
 真奈の柔らかい髪を撫でてみた。かすかに汗ばんでいて、子供用シャンプーの甘ったるいいちごの匂いがする。優子の妊娠が発覚して以来、真奈は毎晩のようにわたしたちのベッドにもぐりこんでくる。百パーセントの関心が自分に向いていないことを敏感に感じ取っているのだろう。
「優子、起きてたんだね、眠れなかったの?」
「ううん。半分起きてて半分眠ってた。ごめん、香織がうなされてたの知ってたんだけど、なんかね、別世界にいたみたいで、助けてあげられなかった」  
 夢にうなされているわたしを助けるなんて、無理に決まっている。それなのに助けてあげられなくてごめん、はないだろう。あきれるくらいに王道ど真ん中な王子さまキャラ丸出しで、涙が出そうになる。  
 カーテンの隙間からわずかに入ってくる街灯の光が、青白い優子の顔に淡い影を作っている。細く通った鼻筋と少しでっぱり気味の眉骨(まゆぼね)が印象的で、ギリシャ神話に出てくる、水面に映った自分の姿に見とれる少年によく似ている。同性に興味のないノンケ女にすら憧れられ、追いかけまわされるくらいのルックスを持つ優子がなぜ、それほど可愛いくもない地味なわたしを選んだのか、今でも時々疑問に思う。  
 優子とわたしは六年ほど前からパートナーとしていっしょに暮らしている。わたしが真奈を生んだのは四年ほど前のことで、優子はわたしたちにとってのふたり目の子を妊娠している。
「わたしね、パンダの夢を見てたの。パンダに襲われる夢」 
 なんでそんな夢を見てしまったのだろう? そうだ。そういえば昨日、真奈を幼稚園に迎えに行ったときに、真奈がパンダを見たいと言っていた。幼稚園でパンダの映画を見せられたらしいのだ。真奈も本物のパンダちゃんが見たいよ、ねえかおちゃん、ゆうちゃんもきっとパンダ見たいって言うよ。  
 真奈にそう言われて、考えてみたけれど、パンダはどこにいるのだろう? 
 わたしが知っているのは、中国の四川省には間違いなくいて、上野動物園にはもういないということぐらいだった。日本国内にパンダはいるのだろうか?
「そうなんだ」 
 優子は、眠っている真奈をそろりと跨いで、わたしの脇に体を滑り込ませてくる。抱き合って脚を絡ませると、まだ突き出してはいない下腹に小さく硬いしこりを感じる。もう動くようになったかと思って、手を当ててみた。
「あ、動いた」 
 わたしの手に感じたのはゆるやかな優子の呼吸だけだ。
「おならみたい」 
 真奈のときもたしか、そんな感じがした。お腹の中で小さな泡が弾けるみたいで、あれっと思った。しこりのある下腹のあたりに、耳をくっつけてみる。聞こえたのは赤ん坊の心音ではなく、優子の鼓動だけだった。パジャマの上着の裾から手を入れて、妊娠してから一回りほど大きくなったおっぱいに触れてみる。反応がない。
「ねえ、今度パンダ見に行こうよ」 
 と、耳元でささやいてみた。優子は返事をせずに、規則正しくゆるやかに胸を上下させていた。優子は寝つきが悪く、眠りも浅いけれど、もう起きていられないという限界まで行くとすとんと穴にでも落ちるように眠ってしまうのだ。  
 最後にパンダを見たのは、いつのことだったのか、記憶を遡ってみた。薄暗い洞窟みたいなところをくぐって、パンダ舎に行ったことはうっすらと覚えている。パンダはいなかった。それは周知の事実であったらしく、パンダ舎のまわりにはほとんど人がいなかった。  
 わたしは、男とふたりで動物園に来ていた。大学に入ったばかりのゴールデンウィークのことだ。周りに人がいないのをいいことに、男は馴(な)れ馴(な)れしくわたしの腰を抱き、舐めるようなキスをしてきた。  
 

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