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物足りないから愛を注げる余地があるんじゃないだろうか?な話

好きなもの。

自分の好きなものに囲まれているという状況は、なんとも言えない安心感と幸福感に包まれる。

全部というわけではないが、いま思いついた好きなものについて、思うままに書き綴ってみようと思う。

カセットテープ

あれは小学6年生くらいの頃だっただろうか。
兄のMDウォークマンが羨ましくて、その年のクリスマスはサンタさんにMDウォークマンをお願いしようと早いうちから決めていた。

来たる12月25日の朝、起きるとそこにあったのはMDウォークマンではなく「ポータブルカセットプレーヤー」だった。MDウォークマンじゃなかったことにひどく私は落ち込み…なんてことはなく、むしろ馴染みのない機器に心躍り、一緒に住んでいたばーちゃんにすぐ自慢しに行った記憶がある。

カセットを巻き戻すキュルキュルという音も、再生や頭出しの際にカシャカシャという乾いた機械音も、なんだかロボットがそこにいるようで楽しかったものだ。

今もそのカセットプレーヤーは持っている。しかし壊れてしまっているのか再生ができず、心地よい乾いたカシャカシャ音を聞くことができない。機械に詳しい人、なんとか直してはくれないだろうか。

万年筆

「万年筆買ってほしい!」
そう親に頼んだのは、確か高校生の時だったと思う。何がきっかけなのかが全く思い出せないが、当時、万年筆という文房具に並々ならぬ憧れを抱いていた。「ゲームや漫画じゃないものをねだれば買ってもらえるのでは?」と安易に考えていた私に返ってきた言葉は「大学生になったら買ってあげる。」だった。

しかし、大学に入る頃には親も自分もその話はすっかり忘れており、憧れの万年筆を手にしたのはごくごく最近のこと。大学を卒業していったい何年経っただろう。

インクも入れ替えなきゃいけないし、書き味にクセもあるしで、ボールペンの方がよっぽど便利じゃんと言われそうだが、万年筆で文字を書いている時に感じる「文豪にでもなった感」や「すごいアイデアが出そうな気がする感」、「文字書いてる感」を一度経験してしまっては、他の便利なペンに戻ることはできないのである。

ペーパーナイフ

ペーパーナイフが封筒を開封するための道具と知った時、「なんて出番のない文房具なんだろう…」と思った。カッターナイフでいいし、なんならハサミでもいいじゃんと思っていた。しかし、今は「封筒を開けるためだけの道具」という、とても限られた使命を持っているこの文房具に、ものすごく魅力を感じる。

ペーパーナイフを見ると、中学生の時に行った九州への家族旅行のことを思い出す。

母親は学生時代に考古学を専攻していたらしく、遺跡の発掘が好きだったようなので、九州旅行の行き先に「吉野ヶ里遺跡」が入っていることには何も驚かなかった。そこにお土産として有柄銅剣を模したペーパーナイフが売っていた。親とかっこいいねとか言いながら買ったような気がする。

帰りの空港にて。
ペーパーナイフを買ったことなんてすっかり頭から抜けてしまっていた状態で通った、手荷物検査場。何回通ってもピーピー引っかかるカバンに、そんな金属なもの入れてたっけ?と二人でガサゴソ探していると、職員の方が一言…

「吉野ヶ里遺跡でペーパーナイフ買われました?」

アハ体験とはこういうことを言うのかと思った。ご名答である。聞くところによると、よくあることらしい。

前述の万年筆で手紙を書くことが増え、そのお返しに手紙をもらうことも増えたのだが、封筒を開ける際にペーパーナイフがとても重宝する。なんでも多機能にしてしまう世の中だが、ペーパーナイフはいつまでも封筒を開ける専門の道具として輝きを放って欲しいと思う。

今回は「カセットテープ」「万年筆」「ペーパーナイフ」について書いてみた。

それぞれ、ちょっと昔のもので「ちょっと不便」「ちょっと足りない」を有している道具だと思う。

カセットテープは聴きたい曲を選ぶのに巻き戻したり早送りしたり待たないといけないし、万年筆はインクこぼれるし、ペーパーナイフは封筒を開けるだけだし。

でもそこに愛着がわく。けなげ…というと違う気がするが、「物足りなさ」が自分にとってはちょうど良く心地よいと感じるようだ。

ちなみに言うと、アナログ主義というわけではない。iPhoneも最新、MacBookも最新、サブスクは出来るものほとんどを契約しており、雑誌も電子版で読む。

そんな「それなりにデジタル好きです人間」の私がもつアナログ主義チックなこだわりはどこからくるのだろう。

自分の好きなものを見つめながら、そんな風に自分について考えてみるのも、時には必要なのかもしれない。

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