窓の外

小説や音楽、映画などに触れていると色々な感想を思うところがあるので、雑感として文章に残していこうと思う。
最近よく考えていることがある。それは、、、『窓の外』という言葉だ。最近実写化されたドラマの原作が漫画のアプリに出てきたのでとりあえず漫画から読んでみた。『窓の外』とは作中に出てきた言葉で、個人的にkeep cool but careレベルの感銘をうけた。そして最初の投稿として、この言葉により僕の頭の中に創出したことを文章にしてみたい。

なぜこの言葉がこれほどまでに僕の心を惹きつけるのだろう。自分の人生の何かを示しているのか?暗示か?なんの?僕には『窓の外』の何かが必要なのか?それとも現在『窓の外』にいて、窓の中の部屋に入る必要があるのか?もしくは『窓の外』にいる誰かを….。オーダーが止まらないレストランのように考えが次から次へともたらされ、それを元に混乱が起こっている。season 1のThe bearの厨房みたいに。つまらないことを言ってもしょうがないので、まずはスタートとして作中の意味合いから考えてみたい。原作は一言で言うと何かよく分からないけど何か面白いといった具合である。なにが引っかかるのか?ズバリそれは主人公の異物感だと思う。主人公を除いた多くの登場人物は環境から規定される倫理観に忠実なのだが、それに対して主人公は少々ずれている。言うこともやることもずれている。そしてもう一つずれているのは絵/線である。凄くシビアな場面でも絵(表情)や線により全てがコミカルに見える。このように内容(脚本)に対して主人公の考えやセリフや絵/線がいい具合にずれずれであり、それにより作品全体に不思議なグルーブが滲み出ているように感じる。Jdillaのよう。
 さて、その中で『窓の外』である。僕がこの言葉に惹かれている理由は?この文章を書きながら考えが整理されてきたのだが、この言葉が持つ可能性が魅力なのだと思う。それこそ窓を開けると見える景色は無限にあるように。僕の考える可能性とは『窓の外』という状況を想定するときに置ける視点の数だ。『窓の外』を眺める?『窓の外』から覗く?いやそもそも目的語なのか?形容詞なら?『窓の外』の人/景色?これもいい。そもそも窓にカーテンは?窓の形は?開くのか?(開かない窓は?窓が開くというのは先入観?)……このように意味はないのだが、それこそ無数に状況を考えることができる。そしてこの漫画の中ではこの視点という考え方が重要であり、主人公のみ他の登場人物と視点が異なっている。これがズレの正体なのかと思う(実写化の中でそれは感じられなかったのだが、それば僕の視点が悪いからか?実写化は窓の内側に収めるような….そもそも黒い球にフォーカスしないで…..っとここまで)。この作品の中で『窓の外』を考えるためにもう一つ重要な要素がある。それが黒い球(ディメンションボール)である。これは一部の者が扱えるもので『窓の外』を持ってくると表現される。そして一見すると黒い球が準主役のように感じる(実際重要)がこれは主人公も言っているようにただの『道具(マクガフィン)』であり『目的』ではない。作中では最終的に『窓の外』の世界につながる玄関と表されていた。では『目的』や『窓の外』のメタファーは?個人的に『目的』の意味するところは『視点の変更』、『窓の外』とは『新しい考え方』だろうと感じる。まるで映画や音楽に置ける批評(○ナソー的にいうと)のようだ(批評には詳しくないのでここまで)。ではこの『黒い球』や『窓の外』は僕の人生にあったのだろうか?つまり『それ』に触れる前と後で『窓の外』に出て(もしくは入って)しまい、全く異なる自分になるような経験。もちろん恋愛も含めて。幸運なことにこの黒い球は僕の人生に何度か現れてくれたように思う。いくつかの物(小説、映画、音楽、ファッション、人、会話など)は僕の心の深い場所に存在している。そのことを思い出すと今でも違う場所に行けるような気がする……。なんてね。

もうキリがないので、今回はここらで終わりにしようと思う。気が向いたら文章を修正するかもしれないし(多分しない)。こんな文章でも書いてみるとスッキリするんだな。この文章を書くという行為も黒い球で僕の頭の中が『窓の外』に出てきたようだ。(終わりがよくない)

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